カフェとカフ・リンクス

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カフェは、珈琲のことですよね。「カフェ・ノワール」は「黒珈琲」のことであります。
「カフェ・ロワイアル」というのもありますが。濃い珈琲に、コニャックを添える飲み方。ただ、珈琲にコニャックを入れることもあれば、一度火をつけることもあります。コーヒーカップの上に、角砂糖を置いたスプーンにコニャックを垂らし、火を。ある程度炎を見物した後、珈琲に混ぜるわけですね。
そしてまた、珈琲を飲む場所をも、カフェ。カフェを味わう所なので、カフェ。
これはたぶん、フランス語の「カフェ」c afé からきているのでしょう。フランス語のカフェは、1610年頃から使われているそうですから、古い。
今のような珈琲は、だいたい1000年頃からのことなんだとか。少なくとも珈琲には千年の歴史があるのでしょう。
最初はエチオピアで。そこから珈琲は、アラビアへ。「珈琲店」は、サウジアラビアのメッカに誕生したという。
日本では、「可否茶館」が浅草、下谷に、明治二十一年に。これは「珈琲倶楽部」に似た店であったらしい。
明治十九年には、日本橋に「洗愁亭」が開店。「愁いを洗う」とは、言い得て妙ですが、その記録はあまり多くは遺っていないようです。
神戸には、「放香堂」というのが、元町三丁目にあった。明治十一年頃の話。「放香堂」は、唐物屋ではなかったか。その店先で、珈琲も飲ませたらしい。もしも「放香堂」をカフェと言って良いなら、日本のカフェは神戸にはじまるもかも知れませんが。
もっとも堂々と「カフェ」を名乗ったのは、「カフェエ・プランタン」。明治四十四年のことであります。場所は現在の銀座ハ丁目。経営者は、画家の松山省三でありました。ただし「カフェエ・プランタン」は今のバアにも近い店で。
大正はじめにかけての日本の「カフェエ」は、カフェそのものではなかった、ということにもなるのですが。
カフェが出てくるミステリに、『フランドルの呪画』があります。1990年に、アルトゥーロ・ペレス・レベルテが発表した物語。

「アペリチフの時間にはかならず洒落たカフェや流行のナイトクラブにきている男………………………」。

これは、ドン・マニュエル・ベルモンテという人物の様子。
また、『フランドルの呪画』には、こんな描写も出てきます。

「モンテグリフォは汚れひとつないワイシャツの袖口を直して、ネイビー・ブルーのダブルの上着の袖の下に三センチ分だけ出した。」

パコ・モンテグリフォは、あるオークション会社の、マドリッド支店長という設定になっています。
なぜ、パコ・モンテグリフォは、シャツの袖口を「三センチ」出したのか。パコ・モンテグリフォは、自分の頭文字をあしらったカフ・リンクスをしていて。それを効果的に見せようとして。
頭文字の刻まれたカフ・リンクス。いいですねえ。カフェでカフェ飲むにも、ふさわしいかも知れませんし。
それはともかく、上着の袖口からは、常にシャツのカフがのぞいていなくはなりませんよ。

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