ブラックとブロード

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ブラックは、黒のことですよね。ちょうど白の反対側の色であります。
たしかにブラックは黒なんですが、その意味はまことに広いものです。喫茶店での「ブラック」は、砂糖もミルクも入れない珈琲のこと。美術館での「ブラック」は画家の名前。ジョルジュ・ブラックは、1882年5月13日に、フランスの、アルジャントゥイユに生まれています。その頃のアルジャントゥイユは極上のアスパラガスの産地だったという。
ジョルジュ・ブラックは、ピカソと並んで、キュービスムを興した画家でもあります。
まあ、そんなわけで「ブラック」の意味にはいろんなものがあります。その中のひとつに、「ブラック・マーケット」が。ブラック・マーケットは戦後、どこの国にもあって、今は存在しない市のことです。日本語なら、「闇市」。闇市を英語では、ブラック・マーケットといったものです。
戦後の闇市での人気商品が、洋煙草と洋酒だったのです。たとえば、「ラッキーストライク」だとか「キャメル」。洋酒なら「オールドパー」や「ブラック・&ホワイト」。
今、御徒町に行きますと、「アメ横」がありますね。あのアメ横は、戦後間もなくの闇市の名残りなのです。
今、デニム。昔、ジーパン。ジーパンをジーパンとして意識して売ったのが、アメ横の「マルセル」。
今日のジーンズは闇市からはじまったと言って、それほど大きな間違いではありません。しかも、これは世界的傾向でもあったのです。倫敦でも巴里でも、ジーンズはブラック・マーケットから拡がったものであります。
ウイスキイの「ブラック&ホワイト」は、1879年に、ジェイムズ・ブッキャナンがはじめた銘柄。一時的は、文字通り「黒と白」だけの配色のウエアをも手がけていましたが。
「ブラック&ホワイト」が出てくる小説に、『銀座川』があります。
井上友一郎が、昭和二十五年に発表した物語。

「ブラック・エンド・ホワイトが安く入るの入らないのと………………………」。

これは、「好江」という女の科白。昭和二十五年頃には、ブラック&ホワイトが、そう簡単には買えなかったことが、窺えるでしょう。
また、『銀座川』には、こんな描写も。そうそう、当時は銀座には川が流れておりました。

「堀は、商賣が洋服屋だから、ギャバジンだのブロードだのと喋り出すと………………」。

これは、「村雨」というバアでの会話の様子。
ここでの「ブロード」は、ブロード・クロスの略語。ただし、戦後の日本語としては、「ブロード」で充分通じたものです。
本来は広幅地の総称として、「ブロード・クロス」。つまりは72インチ幅の生地。これはウールにもコットンにも用いられたもの。
しかし私個人の記憶を辿れば、密な、しっかりとしたコットンを「ブロード」と呼んだ印象があります。
「ブロード」のシャツを着て。バアで、ブラック&ホワイトを一杯やりましょうか。

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