アーウィンは、人の名前ですよね。ふつう、Irw in と書いて、「アーウイン」と訓むことが多いようです。
たとえば、ロバート・ウォーカー・アーウィン。ロバート・ウォーカー・アーウィンは、1844年1月7日、コペンハーゲンに生まれています。ただし、お父さんもお母さんも、アメリカ人。お母さんは、ベンジャミン・フランクリンの曾孫なんだとか。
慶應二年、ロバート・ウォーカー・アーウインは、横濱に。慶應二年は、西暦の1866年のことですから、今からざっと百五十年ほど前のこと。
途中経過を省略いたしますと。明治十八年からの、ハワイ移民に力のあった人物。当時、日本からハワイに移住した数、約三万人。このほとんどが、アーウィンの仲介だったという。
アーウィンはこのほか、製糖業でも成功して、富豪に。当時の人びとは。
「家はコンドル、金はアーウィン」
と、噂した。英國の建築家、ジョサイア・コンドル設計の豪邸に住む富豪だったので。アーウィンの自宅は、麹町、三田綱町などいくつかがあったようですが。
同じアーウィンでも、姓ではなく、名前で探すなら、アーウィン・ショオでしょうか。
アーウィン・ショオは、1913年2月27日。ニュウヨークのブルックリンに生まれています。もともとの名前は、アーウィン・ギルバート・シャムフォロフ。ユダヤ系ロシア人だったので。それを後に、アメリカ風に、ショオと変えたものです。
一般にショオは、短篇小説の名手とされます。常盤新平が絶賛した『夏服を着た女たち』も、短篇。『夏服を着た女たち』への常盤新平の想いは、絶賛では足りません。
「もし、アーウィン・ショオの『夏服を着た女たち』に出会っていなかったなら、翻訳家にはなっていなかった」。
そんなふうに語っているほどです。
でも、アーウィン・ショオは長篇にも優れていて。ひとつの例は、『富めるもの貧しきもの』を挙げることができるでしょうね。1969年の発表。この中に。
「イタリア製セーター、フランス製スカーフ、毛皮の帽子などを売り、驚くほどの売り上げがある小さな婦人物専門売場…………………。」
「イタリア製セーター」。これはどんな銘柄だったのか。1960年代に。
1960年代のイタリア製ニット・ウエアで最高と讃えられたのが、「アボン」 Ab on 。
1960年代、苦労に苦労を重ねて、日本に輸入したのが、桃田有造。それを売ったのが、茂登山長市郎の「サンモトヤマ」だったのです。
旧式の、効率の悪い、編機を用いての、信じられないほど、ハイ・ゲイジのニット・ウエアだったのです。
アボンのスェーターで、アーウィン・ショオの初版本を探しに行くのは、夢物語ではありますが。