ボヘミアとポルカ

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ボヘミアは、今のチェコあたりの古名ですよね。昔むかし、ここには、ボヘミア王国があったという。
でも、今でもボヘミアの言葉は生きていて、「ボヘミアン・グラス」だとか。上質のクリスタル・グラスのことですね。
ボヘミアはまた、シャーロック・ホームズとも関係があって。コナン・ドイルの物語に、『ボヘミアの醜聞』があります。1891年『ザ・ストランド・マガジン』誌7月号に掲載されたホームズ物ですね。この中に。

「上着の袖と両前の襟には幅広くアストラカンの毛皮の折返しを見せ、両袖を肩にはねあげた濃紺のマントには、まっ赤な絹裏がつけてあり……………………。」

これはある日、ホームズのもとを訪れた依頼人の様子。もちろん、ワトソン博士の記録という設定になったいるのですが。また、こんなふうな感想も。

「服装は立派ではあるが、ただしこんなふうな美々しさは、イギリスではむしろ下品と見なされるだろう。」

ワトソン博士は、さりげなく英國紳士の服装美にも触れています。つまりは、コナン・ドイルの冷静な意見でもあったのでしょう。
英國紳士の美意識は、飾らないことを最高とするのです。
話は飛びますが。1960年代の大阪に、「ボヘミアン」という洋品店がありました。たしか、中島さんという方が経営者だった記憶があります。当時の関西では、この上なく洗練された、憧れの店であったのですが。
ボヘミアが出てくる小説に、『さまよへる猶太人』があります。大正六年五月十日に、芥川龍之介が書いた短篇。

「所が、千五百五年になると、ボヘミアで、ココトと云ふ機織りが、六十年以前にその祖父の埋めた財寶を彼の助けをかりて、發掘する事が出來た。」

同じく芥川龍之介が、大正八年十二月に発表した名品に、『舞踏會』があります。最後の一行があまりにも鮮やかな名短篇であります。この中に。

「その後又ポルカやマズユルカを踊つてから、明子はこの佛蘭西の海軍将校と腕を組んで………………」。

時は、明治十九年十一月三日。所は、鹿鳴館という設定になったいます。芥川龍之介は、「マズユルカ」と書いたいるのですが。
それはともかく、ポルカ。舞踏會ですから、ポルカが出てくるのも、当然でしょうね。
ポルカ・ドットというわりあい大きな水玉模様があります。が、あれはポルカを踊っている様子を上から眺めての形容ではないかと、私は勝手に考えているのですが。
ポルカ・ドットのボウ・タイを結んで。ボヘミアン・グラスを買いに行くとしましょうか。

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