無頼派は、戦後間もなくの作家のことですよね。
頼りが無いと書いて、「無頼」ですから、まあ、勝手放題の生き方なんでしょう。でも、勝手放題な生き方のなかでも、小説を書いた人たち。だから、「無頼派」なのでしょう。
たとえば、坂口安吾。坂口安吾などは、無頼派の代表作家と言ってよいでしょうね。太宰 治なども、無頼派のひとりでありました。太宰 治に心酔したのが、田中英光。
田中英光は、昭和二十四年十一月三日。三鷹、「禅林寺」の太宰 治の墓前で、自死しています。三十六年の生涯でありました。まあ、田中英光もまた、無頼派の作家といえるでしょうね。
田中英光が、昭和十五年に発表したのが、『オリンポスの果實』。
『オリンポスの果實』は、昭和七年の、「ロサンゼルス・オリンピック」が背景になっています。純愛小説。
1932年、田中英光は、ボート競技の選手としてオリンピックに参加。その時の淡い淡い戀心を描いたものです。この中に。
「紅いブレザアコオトをきた内田さんを、ボオト・デツキの蔭に、ひつぱり出し、村川が写真を撮り………………………」。
田中英光は『オリンポスの果實』のなかで、「ブレザアコオト」と書いています。何度も何度も「ブレザアコオト」と。私は勝手に「ブレザーコート」のはじまりは、この『オリンポスの果實』だろうと、考えています。
しかしながら。昭和二十七年に、福原麟太郎は、『街の英語』の中で、こんなふうに書いているのです。
「ブレザーコートはブレザーだけでたくさんである。」
福原麟太郎は英文学の大家でもあって、まことに正しい意見でもありましょう。が、その後も「ブレザーコート」は生き永らえたのであります。『街の英語』の文中、ブレザーよりも「ブレザーコート」のほうが印象に遺ったからでしょうか。
ブレイザー b l az er は、読んで字のごとく、b l az e に「r」が添えられた英語。「ブレイザー 」以外の訓み方にはいささか無理があるのではないでしょうか。
さて、お好みのブレイザー を羽織って。無頼派作家の本を探しに行くとしましょうか。