舞台は、ステージのことですよね。舞台に立った経験のある作家に、田村俊子がいます。
田村俊子は、明治十七年四月二十五日。東京に生まれています。幼い頃からの文学少女ではあったのですが。
明治三十五年に、文士劇に出たのがきっかけで、本物の女優に。まあ、それくらいのお綺麗なお方でもありました。
古今東西の女流作家の中でも、少なくとも五本の指に入る佳人でありました。
フランスの女流作家で舞台に立ったのは、コレット。シドニー・ガブリエル・コレット。
コレットは、1873年1月28日、フランスのブルターニュ地方に生まれています。
コレットもまた戀多き女性で、結婚と離婚の後で、舞台に。1900年代のことであります。
女優が舞台に立つ。舞台で演技する。なんの不思議もありません。でも、でも。
1900年代のはじめ、コレットと仲良しだったのが、ミッシー。一時期は一緒に暮すほどでありました。で、コレットはミッシーを誘って、舞台に。
ところが、ミッシーの本名は、マティルド・ド・モルニイ。実は、ナポレオン三世の異父姉だったのです。
それが舞台で、芝居で、コレットとラヴ・シインを。今なら「話題作」となったでしょうが。今から百二十年ほど前のこと。ナポレオン三世はご立腹で。芝居は禁演になったという。
まず第一に、当時の常識として女同士のラヴ・シインは許されるものではなかった。しかもそれを「姉」が演じる。ナポレオン三世にとってはとても許せることではなかったのでしょう。
これはほんの一例で、コレットは「話題」に事欠かない作家でもあったのですね。
そのコレットが、1945年に発表したのが、『ジジ』。『ジジ』が映画化される時、まったく無名の新人、オオドゥリイ・ヘップバーンを主役に抜擢したのも、コレットだったのであります。
コレットが、1920年に発表した「話題作」が、『シェリ』。これも今の時代なら、「話題」ではないかも知れませんが。この中に。
「うしろにずらしていかにも子供っぽくちょこんとのせた白いフェルトの「ブルトン帽」……………………。」
ここでの「ブルトン帽」は、ベレ・ブルターニュのことかと思われます。つまりは、ブレトン・ベレ。バスク・ベレではないほうのベレ。
バスク・ベレがわりあい小型のベレであるのに対して、ブレトン・ベレは、クラウンの大きなベレのことです。
それにしても、白いブレトン・ベレ、憧れますね。もちろん舞台に立つことはありませんが。