ダンスは、踊りのことですよね。
d anc e と書いて、「ダンス」であるのはいうまでもないでしょう。
「ダンスがすんだ」。これは古典的な回文であります。上から読んでも下から読んでも、
「ダンスがすんだ」になりますから。
踊る人なら、「ダンサー」。たとえば、アステア。フレッド・アステア。ダンサーであり、シンガーであり、アクターでもあったお方ですね。
フレッド・アステア主演の映画に、『踊らん哉』があります。1937年のミュージカル映画。共演は、ジンジャー・ロジャース。
『踊らん哉』の原題が、『シャル・ウイ・ダンス』。「踊って頂けませんか?」という誘いの言葉。言葉の中に「ウイ」があるのですから、お断りすることはできないでしょう。
1996年の日本映画が、『Sh all we ダンス?』。役所広司と草刈民代の共演。
ダンスが出てくる随筆に、『ユルスナールの靴』があります。1996年に、須賀敦子が発表した名文です。
「ダンスのレッスンや、ゲームのルールを説明するとき、彼女たちがそっと片手で長い修道服のすそを持ちあげると……………。」
そこから美事に手入れされた靴があらわれたという話なのです。
須賀敦子は『ユルスナールの靴』の中で。この友達から聞いた話からはじまって、えんえん靴について語るのであります。
「………イギリスふうの、針でぶつぶつ刺したような模様のある、先端の細い、大きいわりには軽い靴で……………………。」
これは須賀敦子が子供の頃、お父さんが履いていた靴についての思い出として。
お父さんは同じ靴を何足も、銀座の靴屋で誂えていて。
須賀敦子のお父さんは、須賀豊治郎で、「須賀工業」の社長だった人物。お父さんの靴を磨くのは敦子の役で、手抜きするとすぐに指摘されたとも、書いています。
須賀敦子が終生愛してやまなかった作家が、ユルスナール。マルグリット・ユルスナール。
フランスの作家であります。
須賀敦子はユルスナールの小説を熟読しただけでなく。以前、ユルスナールが住んだ家をも訪ねているほどです。
マルグリット・ユルスナールが、1938年に発表した創作に、『東方奇譚』があります。この中に。
「………踊り疲れた娘たちはトルコ・スリッパを引きずりながら村の方へ次々と去って行きました。」
ここでの「トルコ・スリッパ」は、ターキッシュ・スリッパーズのことでしょうか。
先端の尖った、装飾的な履物。色とりどりで、宝石があしらわれたりもすることがあります。なぜか東洋的な印象でもあるスリッパーです。
どなたかターキッシュ・スリッパーズに似た靴を作って頂けませんでしょうか。