シャルロッテとジャカール

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シャルロッテは、女の人の名前ですよね。たとえば、シャルロッテ・ブフだとか。
シャルロッテを短くすると、「ロッテ」の愛称になるんだそうです。
1744年に、ゲエテが発表したのが、『若きウェルテルの悩み』。ゲエテの代表作と言っても良いでしょう。
『若きウェルテル』に登場するのが、「シャルロッテ」。ひと言で申しますと、失恋物語。
でも、これはゲエテの身の回りに実際にあったことが、下地になった創作なのです。
「シャルロッテ」は、日本の「静子」にも似て、ドイツには珍しくない名前なので、そのまま文中に登場させたのでしょう。
1808年に、ゲエテはナポレオンに会っています。ナポレオンは大いに感激して。
「貴公の著作は拝読しましt。」。
そう述べてたという。「貴公の著作」が、『若きウェルテルの悩み』であることはいうまでもありません。
つまり『若きウェルテルの悩み』は当時の大ベストセラーだったのです。
若者たちはこぞって、ウェルテルやシャルロッテの服装を真似たと伝えられているほどに。
1939年に、トオマス・マンは、『ワイマルのロッテ』を仕上げています。
これはその後の、ゲエテとロッテとを描いた小説なのです。それというのも、実際に、ロッテとゲエテは再会していますので。
1816年。ロッテはワイマルに行き、六十歳のゲエテを訪問しています。
この一瞬の事実から紡ぎ出して、一篇の小説に仕上げたトオマス・マンも美事でありましょう。
『ワイマルのロッテ』を読んでおりますと。

「………燕尾服に勲章をつけ、絹のスカーフを巻き、紋織のチョッキを着こんでいて、たいへんりっぱな姿であった。」

もちろんその時の、ゲエテの着こなしとして。
「紋織」。私は勝手にジャカードに似た生地ではなかったかと、想像しているのですが。

ジャカードの発明者、ジャカールは1752年7月7日に、フランスのリヨンに生まれています。
ジャン・ジャック・ジャカールが今の「ジャカード織機」の源を発明したのは、1790年代のこと。
1801年には、「パリ万博」で公開しています。が、フランス国内では好評ではありませんでした。織工の仕事を奪う道具として。
ジャカード織機を認めたのが、英國。1804年2月2日。イギリスはジャカールに、3、000フランの賞金と、金牌を与えているのです。
また、ナポレオンとの関係で申しますと、フランス革命期、一兵卒として参加もしています。ことに、ジャカールは息子をフランス革命戦争で亡くしてもいるのです。
どなたか華麗なるジャカードでジレを仕立てて頂けませんでしょうか。

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