マリアとマント

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マリアは、女の人の名前ですよね。
とりあえず頭の想い浮かべるのは、聖母マリアでしょうか。イエス・キリストのお母さんであります。
お父さんは、「ヨセフ」だったそうですね。ヨセフがマリアと結婚したのは、神のお告げによるものだとか。
ある日、ヨセフのもとを訪れた、天使ガブリエルが、マリアの「受胎告知」をしたと、伝えられています。
つまりイエス・キリストは生まれる前から特別なお方だったものと思われます。
マリアで歌手でといえば、マリア・カラスでしょうか。マリア・カラスは1923年12月2日。NYに生まれています。
マリア・カラスは、オナシスとの結婚がよく識られていることでしょう。でも、マリア・カラスの最初の結婚相手は、メネギーニだったのです。イタリア、ヴェローナの実業家、
ジョヴァンニ・バティスタ・メネギーニ。もう少し具体的に申しますと、レンガ工場の社長だったのです。
1949年。カラスとメネギーニは、ヴェローナで運命的な出会いをしています。
メネギーニ著『わが妻 マリア・カラス』に、詳しく出ていることなのですが。
1949年のメネギーニは、ヴェローナのレストランの二階に住んでいたんだそうです。自宅が空襲で焼けたために。
メネギーニの友人が、ブラ広場のレストラン「ペダヴェーナ」を経営していたので。
マリア・カラスがはじめてヴェローナに着いたのは、1947年6月29日。メネギーニは、翌日の6月30日に、マリア・カラスに会っています。
友人からはマリア・カラスという新人歌手がくるので、ぜひ会って欲しいとは、言われていたのですが。メネギーニのほうでは会うつもりはなかったらしい。
1947年6月30日の夜。メネギーニは帰宅。帰宅ということは、レストラン「ペダヴェーナ」に帰るということでもあって。
と、マリア・カラスたち一行の食事がちょうど終りかけているところ。メネギーニはそこに引き込まれたわけですね。
「メネギーニさん、ご注文は?」と問われて、「カツレツ!」。でも、カツレツはたった今、最後のが出てしまったばかり。
「よかったら、これを召しあがりません? まだ手をつけておりませんから」。
そう、言ったのがマリア・カラスだったのです。
結局、メネギーニはマリア・カラスが食べるはずだったカツレツを頂戴することに。
その食事での話題は、アメリカの偉大で、素晴らしいこと。黙って聞いていたメネギーニはついに言った。
「お言葉ですが、イタリアにも良い所はありますので……………。」
こうして翌日、メネギーニがマリア・カラスをヴェニスを案内する約束が生まれたのであります。そして、ヴェニスでふたりは戀人同士に。

マリアが出てくる創作に、『即興詩人』があります。
1835年に、アンデルセンが発表した初の小説が、『即興詩人』なのです。森 鷗外が感動したほどの名作でもあります。事実、森 鷗外はドイツ語訳をもとに日本語訳の
『即興詩人』を完成させているのですが。

「行く末がどうなるか、マリア様だけがごぞんじです。」

これはおばあさんの科白。少年の将来について。
また、『即興詩人』には、こんな描写も出てきます。

「黒い絹の神学士マントを着たわたくしは、別人のように幸福な人間になりました。」

やはり着るもので人の心は変るものなのですね。
黒い絹のマント。軽くて、捌きもよく、美しいでしょうね。
どなたか黒絹のマントを仕立てて頂けませんでか。

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