タクシーは、賃貸自動車のことですよね。
好きな所から好きな所へ、自由に運んでくれる。便利な乗物であります。
タクシーで有名なものに、ロンドンがありまして。いわゆる「ロンドン・タクシー」。
自動車もユニイクなら、運転手もユニイクで。行先の所番地を言っただけで、正確に連れて行ってくれる。しかも、最短時間で。ロンドン・タクシーが名高いのも、当時のことでしょう。
NYには有名な「イエロー・キャブ」があります。目立つ色なので、すぐにタクシーだと分かります。
ところで、「キャブ」とは何なのか。そもそもタクシーは省略語で、正しくは、「タクシー・キャブ」。黄色いタクシー・キャブなので、「イエロー・キャブ」なんですね。
では、「キャブ」とは。これはキャブリオレ、またはカブリオレを短くした言い方。
カブリオレ c abr i ol et は十九世紀のフランスで流行った馬車のこと。「カブリオレ型の馬車」。これは二人乗りの馬車で、御者が客席の後に立って、先頭の馬を操る式の馬車。
ふつう客席の前に御者がいることが多いのですが、カブリオレは御者が後に。そのために客席の前に荷物を置く場所が確保できる。これが人気だったのですね。
十九世紀後半、このカブリオレ型馬車が「賃貸」にも用いられたので、「タクシー・カブリオレ」。ここから後に、「タクシー・キャブ」の言葉が生まれたわけです。
カブリオレ型馬車には折り畳み式の幌があって。今でも「幌」のある自動車を時に、「カブリオレ」と呼ぶことがあるのは、そのためであります。
「………夫が先に、妻がその後から黙ってタキシーの箱の中へ収まって、始めて夫婦らしく肩を並べた。」
昭和四年に、谷崎潤一郎が発表した『蓼喰ふ蟲』の一節に、そのような文章が出てきます。場所は大阪、梅田の駅前。
谷崎潤一郎は、「タキシー」と書いています。大正時代には、多く「タキシー」と言ったらしい。
「タキシー」はほんの一例で、谷崎潤一郎の『蓼喰ふ蟲』には、懐かしい言葉がたくさん出てきます。
「………金唐革の煙草入れを捜しあてたが……………………。」
金唐革と書いて、「きんからかわ」と訓みます。この技法は今では絶えていますが、革の表面を、金彩で文様を彫った細工なのです。それはそれは豪華なものでありましたが。
タクシーが出てくる随筆に、『悲しきタキシイド』があります。昭和二年に、谷 譲次が発表した文章。『蓼喰ふ蟲』の二年前ということになるでしょうか。
「……おお、この文句が、すでに市俄古のタキシ運転手のごとく、なんと亜米利加的にきざで……………………。」
谷 譲次は、「タキシ」と書いているのですが。
谷 譲次の本名は、長谷川海太郎。昭和のはじめに大活躍した作家。『丹下左膳』を書いた
林 不忘もまた、長谷川海太郎の筆名だったのです。また、牧 逸馬のペンネイムでは、アメリカの実録物をたくさん書いています。
昭和五年から昭和十年にかけて書きに書いた作家。この五年間に書いた執筆量は、たぶん「ギネスブック物」でしょう。
それにしても、どうして『悲しきタキシイド』の題なのか。
「……その市俄古で、私はもう一度「悲しいタキシイド」を見なければならなかったが……………………。」
谷 譲次は、『悲しきタキシイド』に、そのように書いています。
これは主人公が、1920年代はじめ、サンフランシスコからシカゴに列車で旅する話が中心になっています。
長旅ですから、食堂車があって、谷 譲次もそこの客に。ボーイたちは皆、「タキシイド」を着ていて。でも、谷 譲次に対してだけ態度がそっけない。その原因はチップにあった。
それに気づいた谷 譲次、一ドルのチップを。ところが札を間違えて五ドル置いた。
その途端にサーヴィス大向上。谷 譲次、いまさら一ドルのチップが置けなくなって、悲しい思いをしたと、書いているのです。
タキシードなのか、「タクシード」なのか。日本語の場合、「タキしード」の感じで、三番目の母音が強くなる。でも、アメリカ語なら、「たクシード」とはじめの母音にアクセントが。
イギリスでの「タクシード」の見解は、ワン・ボタン型のディナー・ジャケット。英國でのディナー・ジャケットは、トゥ・ボタンにはじまっているのです。その後、1898年頃から、一つボタン型に。それはおそらくアメリカでの影響があったのでしょう。
どなたか1920年代のタクシードを再現して頂けませんでしょうか。