エジプトとエドワーディアン

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エジプトは国の名前ですよね。
エジプト。アフリカ大陸の北東にあって、首都はカイロ。
1849年にエジプトを旅した作家に、フロベールがいます。今からざっと180年ほど前のことになるでしょうか。
旅は旅ですが、長旅。およそ一年半くらいの旅行だったのですね。旅の友は、同じくフランスの作家、カン。マクシム・デュ・カン。
そんなわけで、フロベールはまず、パリのカンの家に立ち寄っています。1849年10月25日、木曜日のことです。この時の紀行文は、『フロベールのエジプト』に詳しく収められています。
1849年10月29日にパリを発って、マルセイユに。マルセイユからアレキサンドリアまでは、船。

「………右手にある(ケオプス[クフ王]の)大ピラミッドに登ることにする。」

フロベール著『フロベールのエジプト』には、そのように出ています。事実、フロベールはピラミッドに登ったのです。ただし、現地人に押したり引いたりしてもらったようではありますが。

エジプトを旅した人物に、ポアロがいます。もちろん、アガサ・クリスティーのミステリの中での話ですが。

「いつもはとてもスマートでぴかぴかの、エナメルのわたしの靴! ほら、砂が内側にはいって、とてもいたいです。そして外側ときたら、砂だらけで、見るに耐えません。」

アガサ・クリスティー著『エジプト墳墓の謎』に、そのように出ています。いうまでもなく、ポアロの科白として。
ポアロはいつもロンドンを歩いている身なりでエジプトにやって来たのですから。『エジプト墳墓の謎』は、1924年の発表。
アガサ・クリスティーが、1961年に発表したミステリに、『蒼ざめた馬』があります。この『蒼ざめた馬』を読んでおりますと。

「喫茶店のドアが開き、エドワード国王時代の服装をした三人の若者がはいってきて、騒々しく腰をおろした。」

日本語訳者、橋本福夫は、「エドワード国王時代の服装」と訳しています。たぶん、「エドワーディアン」のことかと思われます。
『蒼ざめた馬』をもう少し読んでおりますと。

「テディ・ボーイ・タイプの少年が三人はいってきて、テーブルの一つを占領し……………。」

これもロンドンの喫茶店での光景として。
「エドワーディアン」 Edw ard i an は、「エドワード七世時代」の意味。そしてまた、戦後間もなくのロンドンで流行した先端的な風俗のことでもあります。
「テディボーイ」は、その別名。
極端に長い上着丈、細いズボン、装飾過多のアクセサリイなどなど。かみは多くリーゼント型でありました。
どなたか現代的なエドワーディアン式スーツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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