シャンパンとシグネット・リング

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シャンパンは、祝いの酒という印象がありますよね。ことに、ピンク・シャンパンは、おめでたい時にふさわしい飲物でしょう。
「シャンパン」は今日的な表現で、少し前の時代では、「シャンペン」とも言ったようですね。あるいはまた、「三鞭酒」の宛字があったのも、ご存じの通り。

「………人民はよろしく金を持ち美衣美食して、かつシヤンペンをのむべしなどと……………。」

明治十九年『時事新報』六月三日号の記事に、そのように出ています。小見出しは、『ストカイキは未だ外國のこと』。これはアメリカでのストライキを伝える記事なんですね。
アメリカでは、「八時間労働」を主張して、ストライキが行われたと、伝えているのです。

「………男同士のシヤンペンなど酌交す間を、請うて庭内を遊覧せんとて出でしにぞありける。」

明治三十一年に、尾崎紅葉が発表した『金色夜叉』にも、「シャンペン」が出てきます。まったくの想像ではありますが、尾崎紅葉も明治期に、シャンパンの杯を傾けたことがあるのかも知れませんね。

「九時ごろから喫煙室でN君ハース氏らと訣別の心持ちでシャンペンの杯をあげた。」

寺田寅彦が、大正九年に発表した随筆、『旅日記から』に、そのような文章が出てきます。
これはイタリアに向う客船の中でのこと。
この『旅日記から』からを読んでおりますと、こんな描写も。

「緑がかったスコッチのジャケツを着て、ちぢれた金髪を無造作に桃色リボンで束ねている。」

これは同じ客船の、少女の様子として。ここでの「スコッチ」は、トゥイードのことかと思われます。飲むほうのスコッチではなくて、着るほうの「スコッチ」であります。
シャンパンが出てくる小説に、『ブデンブローク家の人々』が。1901年に、ドイツの作家、トオマス・マンが発表した長篇。

「………父親の命名演説を聞き、父親が舳先のシャンパンの壜を砕くのを見守り、船が緑の石鹸を塗りつけた斜面を降りて水面に高く泡を立てながら滑り込むのを……………。」

これは進水式の様子として。十九世紀末のドイツでも、進水式にはシャンパンが用いられたのでしょう。
また、『ブデンブローク家の人々』には、こんな場面も出てきます。

「教壇に陣取った博士は、大きな印形指輪をはめた人差し指を伸ばして襟と首の間に入れ……………。」

日本語訳者、森川俊夫は、「印形指輪」と訳しています。これはたぶん、「シグネット・リング」のことかと思われます。
シグネット・リングは、昔風の「封蠟」の際にも役だってくれる指輪のことです。指輪の表面に自分の名前などをあしらった文様があるので。
どなたか金の、シグネット・リングを作って頂けませんでしょうか。

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