珈琲と香水

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珈琲は飲物のひとつですよね。嗜好品。嗜好品ですから、人によって好みがあるのでしょう。

「ティー・オア・カフェ」とよく言われます。でも、「カフェ・オア・ティー」とは、あまり耳にしません。どうして、なんでしょう。
珈琲飲料の歴史は九世紀にはじまるんだとか。一方、「茶」の歴史は、少なくとも紀元前2世紀にはもうあったんだそうです。
先輩に敬意を表して、「ティー・オア・カフェ」なんでしょうか。

🎶 昔アラブの 偉いお坊さんが……………。

1961年のヒット『コーヒールンバ』の歌い出しであります。たしか西田佐知子が歌っていたような記憶があるのですが。たぶんコーヒー好きのお方が、たくさんのレコードを買ったのでしょう。
日本の『コーヒールンバ』の原曲は、1958年発表の『モリエンド・カフェ』なんだとか。これは「コーヒーを挽きながら」の意味であったらしい。

「この珈琲挽きで豆を碾いて珈琲を沸かすことにした。それが習慣になつて、もう何年も續いてゐる。」

小沼 丹は、1978年に書いた随筆『珈琲挽き』に、そのように記しています。

珈琲が出てくる文章に、『私の東京地図』があります。昭和二十二年に、佐多稲子が発表したものです。ただし、物語の時代背景は、大正末期におかれているのですが。

「今まで下町ばかりに住んでいた私は、山本で一杯のコーヒーを飲むことに、幾分の文化の雰囲気を感じた。」

これは、その頃、神楽坂にあった「山本」という喫茶店について。
ところで、井伏鱒二が、大正十四年に発表した小説に、『夜ふけと梅の花』がありまして。

「先づコーヒーとしる粉とをのむべく私は二階にあがつた。」

これは「紅谷」という喫茶店でのこと。紅谷と書いて、「べにや」と訓んだんだそうですが。
ここで、もう一度、佐多稲子著『私の東京地図』に戻ることにいたしましょう。こんなことが出ています。

「紅谷の前の相馬屋紙店の横を、家壁に袖をふれるようにして入ってゆけば……………。」

佐多稲子の『私の東京地図』と、井伏鱒二の『夜ふけと梅の花』とを読み比べる限り、おふたりは同じ時期、同じ場所を動いていたようにも思えるのですが。
井伏鱒二が明治三十一年のお生まれ。佐多稲子が明治三十七年の誕生。六つほどの違いですから、あり得ない話でもないでしょう。
さらに、佐多稲子の『私の東京地図』の中に、入って行きましょう。

「………ヤードレイやアトキンソンなどという英国の会社の、色の濃い香水は、T侯爵夫人がいつも夫妻で来て買う。」

もちろん、これも大正時代の話として。場所は、当時の日本橋「丸善」で。佐多稲子は若い頃、「丸善」の香水売場に立っていたことがあるのです。
重ねて佐多稲子の『私の東京地図』から。

「ウビガンの香水や、ピノーのローションを買う。」

これは市川左團次の買物として。「ウビガン」は、1775年創業の、老舗。いうまでもなく香水店。ナポレオン・ボナパルトもウビガンを愛用したという。
日本では、西園寺公望も終世、ウビガンを手放すことがなかったそうですね。
どなたか紳士用の香水を造って頂けませんでしょうか。

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