サインとサマー・スェーター

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サインは、署名のことですよね。s ign と書いて、「サイン」と訓むわけです。
なにかの書類の後ろにサインなり署名なりをすることはあるでしょう。
英国での国王のサインのはじまりは、エドワード三世の時代なんだそうですね。
エドワード三世は十四世紀の国王ですから、古い話であります。では、サインの前はどうしていたのか。印形。平たく申しますと、判子。たぶん、今の「シグネット・リング」に似たものを使ったのでしょう。

サインが事件の鍵となるミステリに、『四つの署名』があります。1890年に、コナン・ドイルが書いた名作。『まだらの紐』に続く第二作です。
原題も、『ザ・サイン・オブ・フォア』となっています。これを『四つの署名』と訳すのか、『四人の署名』と訳すのか。ホームズ研究家の間でも意見が分かれるところなんだそうですね。

「酔っぱらいの時計には、必ずこういう傷がある。」

ドイル作『四つの署名』に、そんな推理が出てきます。これはホームズがある人物の懐中時計を見ている場面。懐中時計の裏蓋に傷があるので、酒好きの男だろうと。
十九世紀はじめの懐中時計はまず例外なく、鍵付きの時計。龍頭はまだ一般的ではなかったから。龍頭でゼンマイを巻くようになるのは、1840年頃からのことらしい。

「さあ、サインして下さい」云ひますねん。

谷崎潤一郎が、昭和三年に発表した『卍』に、そのような一節が出てきます。
これは兄弟の約束をする場面。結局、血判を捺すことになるのですが。
「サイン」よりも「署名」のほうが以前からの日本語で。

「是へどうか御署名の上御捺印を願ひたいので」と帳面を主人の膝の前へ開いたまま置く。」

夏目漱石が、明治三十八年に発表した『吾輩は猫である』に、「署名」が出てきます。これはある文学会に入るために。
『吾輩は猫である』は、今からざっと百二十年ほど前の物語ですが、今読んでも、面白い。

「………メンチボーぢやないトチメンボーだと訂正されました」

そんな文章も出てきます。これは「先生」がとある食堂で、「トメンチボー」と注文すると、ボーイに「メンチボーのことですか?」と問い直される場面。漱石はどこかで、「トメンチボー」の言い方を耳にしたことがあったのでしょうか。もちろん今のメンチボールのことなのでしょう。

サインが出てくるミステリに、『なげやりな人魚』があります。1950年に、E・S・ガードナーが発表した物語。

「二つのサインを比べてみたいのです」

これは探偵役のペリイ・メイソンの科白として。
また、『なげやりな人魚』を読んでおりますと、こんな描写も出てきます。

「白いセーターを着て、あの人がヨットに乗る時いつもはく青い労働ズボンをはいて、テニス靴をはいていたのです。」

「青い労働ズボン」はもしかして、ダンガリーズだったのでしょうか。「白いセーター」。
私は勝手に、サマー・スェーターかと。コットンのスェーター。リネンのスェーター。シルクのスェーター。
どなたか白い、細い絹糸で、スェーターを編んで頂けませんでしょうか。

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