グラスは、コップのことですよね。今、ごくふつうの会話で、「コップ」と言うのか、「グラス」と言うのか。
まあ、時と場合によって無意識に使い分けているのでしょうが。なんとなく「コップ」は旧式で、「グラス」は新式の印象があります。
たとえば、「ワイン・グラス」と言って、「ワイン・コップ」とは言わないように、「シャンパン・グラス」と言って、「シャンパン・コップ」とは言わないように。
「………と云ひながら又洋盞を嫂の前へ出した。」
夏目漱石が、明治四十二年に発表した『それから』に、そのような一節が出てきます。
漱石は、「洋盞」と書いて「コツプ」のルビを振っています。これはもちろん、「代助」の仕種として。では、この時の代助はなにを飲んでいるのか。漱石は「葡萄酒」と書いていますから、ワインなんでしょう。
明治四十年頃には、葡萄酒を「コツプ」」で飲んだのでしょうか。
「すまないが戸棚の葡萄酒でも持つて来てくださいな。小さい洋盞を二つと。」
鈴木三重吉が大正二年に発表した『桑の實』に、そのような文章が出てきます。鈴木三重吉は、「洋盞」と書いて、「グラス」のルビを添えているのですが。
このふたつの小説だけから申しますと。明治末期までは「コップ」が優勢で、大正初期からゆっくり「グラス」が一般的になった。そうも言えるのかも知れませんが。
家に客があって、二階の座敷で、「葡萄酒」を出す場面。客は、「青木さん」で。
「ネルの単衣にステッキをお持ちになつた、鬚のある背の高い方が這入られた。」
「青木さん」の様子は、そのように描写されています。大正のはじめ、「ネルの単衣」は珍しい服装ではなかったのでしょう。
グラスが出てくる小説に、『蓼喰ふ蟲』があります。昭和三年に、谷崎潤一郎が書いた物語。
「彼女はうすい瑪瑙色にかゞやくグラスへ唇をつける。」
これはシャンパンを飲んでいる場面として。昭和のはじめ、谷崎潤一郎の想いとしては、シャンパンは「グラス」で飲むものだったものと思われます。また、谷崎潤一郎は、昭和のはじめ、いきなり「グラス」と書いているのですね。
谷崎潤一郎の名作『蓼喰ふ蟲』を読んでいますと、こんな文章も出てきます。
「………ふと或る事を思ひついて誰もゐないのを幸ひに急いでグレイ・フランネルの背廣に着換へた。」
これは主人公が旅先で、和服を洋服に着替える場面として。谷崎潤一郎は明確に「グレイ・フランネル」と書いております。
1956年のアメリカ映画に、『灰色の服を着た男』がありました。主演は、グレゴリー・ペック。原題は、『ザ・マン・イン・グレイ・フランネル・スーツ』。
グレイ・フランネルは、応用範囲の広い服です。アクセサリーの合わせ方で、千変万化。基本の一着であり、貴重な一着でもあります。
どなたか完全なるグレイ・フランネルを仕立てて頂けませんでしょうか。