デルタとデザート・ブーツ

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デルタは、三角洲のことですよね。河口なんかによくみられる地形のことです。
では、どうして三角洲が、デルタなのか。これは古代の歴史家、ヘロドトスが名づけた言葉なんだそうですね。
ギリシャ文字のΔに形が似ているので、「デルタ」。分かりやすいといえば、分かりやすいのですが。

「狩野の川口、流るる河水と寄する海とでせり上げた小三角洲の首の辺りに………」

1903年に、徳冨蘆花が発表した小説『黑潮』に、そのような一節が出てきます。徳冨蘆花は、「小三角洲」と書いて、「デルタ」のルビを添えているのですが。

「それより七八十年前は浅草なぞは今の佃島のように三角洲だった。」

1939年に、岡本かの子が書いた小説『河明り』にも、そのような説明が出てきます。岡本かの子もまた、「三角洲」に、「デルタ」のルビをふっています。
岡本かの子はもともと二子玉川の豪商のお嬢さん。河一体の権利を持っていたという。岡本かの子が河や三角洲に想いが深いのも、当然かも知れませんが。

デルタが出てくるミステリに、『黄金の都』があります。英国の作家、レン・デイトンが、1992年に発表した長篇。

「ナイル川はカイロ市内でデルタを作り、そのデルタ ー ゲジラ島は、その都市の中で最も快適な住宅地となった。」

『黄金の都』を読んでおりますと、こんな描写も出てきます。

「中尉はいそいそとした表情になると、脱いでいたウールの長いソックスをはき、その足を傷だらけのスエードの砂漠用ブーツに突つ込んだ。」

これはもしかしたら、「デザート・ブーツ」ではないでしょうか。
デザート・ブーツは、英国の「クラークス」が有名。1825年頃、ジェイムズ・クラークが創業したと伝えられている会社。もとはスリッポンの専業メイカーだったとも。
第一次大戦時代に、砂漠専用ブーツを考案して、好評。砂漠を歩いて砂が入ってこないブーツだったので。
どなたか1910年代のデザート・ブーツを作って頂けませんでしょうか。

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