新かなは、現代表記のことですよね。たとえば、「会う」と書きます。
「会ふ」とは書きません。「会ふ」と書くのは、旧かな遣い。歴史的仮名遣いとも言うんだそうですが。
「会はない」、「会ひます」、「会ふ時」「会へば」………。
この五十音順の語尾変化を尊んだのが、旧かな遣いなのでしょう。
明治以来の国語の勉強は、旧かな。戦後の教育は、新かな。ですから、昭和二十年より前は、旧かなが一般で、昭和年以降、急速に新かなが普及するわけですね。
でも、戦後になってからも、旧かなを愛した作家もけっして少なくはありません。たとえば、三島由紀夫。三島由紀夫は原稿用紙に万年筆で、正字と旧かなで小説を書いたようです。これは晩年まで変わることがありませんでした。
森 茉莉もまた、旧かなを好んだおひとりです。
「フランスでも、ドイツでも、文明国はみんな、昔の言葉を変えないようである。」
森 茉莉の随筆集『記憶の繪』には、そのように出ています。章題は、『旧かなと新かな』になっているのでfすが。
明治の頃、文部省で、かな遣いについての会議があって。森 鷗外は、歴史的仮名遣いを変えてはいけないとの、発言したそうです。
これも、森 茉莉の随筆『旧かなと新かな』に出ている話なのですが。
『記憶の繪』には、森 鷗外が文字を消してくれる話もあります。
森 茉莉が少女の頃。書道で、文字を書き間違えると、鷗外がやって来て、間違えた文字を消してくれる。
筆の軸の反対側に水を少しつけて、間違えた文字の上から、とんとんと叩く。これを何回もやっていると、そのうちに間違えた文字が消えたんだそうです。
森 鷗外は、一字まちがえたくらいで、半紙一枚を無駄にすることがなかったのでしょう。
森 茉莉の『記憶の繪』には、もちろん、おしゃれの話もたくさん出てきます。
「………火のように真紅い絹のリボンがこれもシャーリングのように襞をよせて巻いてあった。」
これははじめて買ってもらった、黒いビロードの帽子について。
襞の寄せ方にも、プリーツもあれば、シャーリングもあります。
ひとつの例ですが。シャツの袖口にも、シャーリングが。カフからスリーヴにかけて、細くする部分に、シャーリング。
もちろん多くは三本ほどのプリーツであるのですが。時と場合によっては、シャーリングにもなっています。
シャーリングなのか、プリーツなのか。これはシャーリングのほうが、クラシックとは言えるでしょう。より手仕事的な仕上げ法なのです。
どなたかシャーリングが美しく栄えるシャツを仕立てて頂けませんでしょうか。