スーツとスモーキング・キャップ

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スーツは、背広のことですよね。背中が広く感じる型紙なので、「背広」の言葉が生まれたんだそうです。時代は、幕末の横濱で。
その頃の西洋服は、主にフロック・コートや燕尾服。これらの背中を型紙上で眺めますと、縦の線が多い。つまりウエストを細く見せる工夫として。
ところが簡略なラウンジ・ジャケットは、背中の縦線が、ない。その時代のラウンジ・ジャケットは、背中が一枚だったので。いわゆる「背縫い」もなかったのであります。それで、「背広」。
ラウンジ・ジャケットの登場は、1840年代のこと。晩餐のための燕尾服を、男だけのラウンジ・ルームでは、楽な、簡単な上着に着替えた。だから、「ラウンジ・ジャケット」と呼ばれたのです。
ふたたび、ラウンジ・ルームを出て、ご婦人と一緒になる時にはまた、燕尾服を羽織ったのであります。
1850年代末には、このラウンジ・ジャケットが重宝されるように。「着やすいものだなあ」と。もっとラウンジ・ルーム以外でも着ようではないか、と。
こうして1860年代に「ラウンジ・スーツ」が誕生。ここでのラウンジ・スーツは、上下、同じ生地での組合せだったのです。上下で、生地が揃っているので、「ラウンジ・スーツ」。
今のモーニング・コートを見れば分かるように。十九世紀に「上下揃い」という発想はありませんでした。
それを無理矢理、ラウンジ・ジャケットでは同一素材で仕立てられることになったのです。当時としては画期的であったのは、言うまでもないでしょう。
それはともかく「スーツ」は、省略語。正しくは「ラウンジ・スーツ」なのです。

スーツが出てくるミステリに、『殺人への扉』があります。

「………グレッグソン夫人はベルフィールドで仕立てたスーツに身を包み………」

これは女性用のスーツなのですが。ここでもスーツの応用範囲の広いことが窺えるでしょう。
『殺人への扉』は、1942年に、エリザベス・デイリーが発表した物語。
また、『殺人への扉』には、こんな文章も出てきます。

「………赤いヴェルヴェットのスモーキングキャップ 三十シリング。」

これはノートン夫人の買い物リストとして。メルボルン卿へのクリスマスプレゼントなんですね。
「スモーキング・キャップ」は、書斎などでかぶる縁なし帽。スモーキング・キャップは、身体を温めてくれる帽子でもあります。もちろん、スモーキング・ジャケットにもよく似合うでしょう。たいていは長い飾りの房がつくものです。
どなたかスモーキング・キャップを作って頂けませんでしょうか。

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