ミュンヘンは、南ドイツの街ですよね。ミュンヘン。ことの美味しいビールでも有名であります。
明治期のドイツで忘れてならない人物に、森 鷗外がいるのは言うまでもないでしょうか。森 鷗外は、明治十七年にドイツ留学。明治十七年十月十二日に、ベルリンについています。
森 鷗外の留学の目的は、医学の研究ですから、ドイツをくまなく巡ってもいるのです。
「………池畔に絃管を奏し、男女氷履を穿き、手を携へて氷面を遊戯す。」
明治十七年十一月二十九日の『独逸日記』に、そのように書いてあります。移動中に、池でスケートをしていたのでしょう。
明治四十四年に、ミュンヘンを旅した詩人に、与謝野晶子がいます。
「ミュンヘンは第一衛生上の設備が行届いて市街の清潔なことの著しい都である。」
与謝野晶子の紀行文『ミュンヘン』にそのように出ています。また、ミュンヘンの印象をこうも書いています。
「珈琲店の椅子一つでも頑丈な木に革を張って真鍮の太い鋲で留めてあると云う風である。」
ミュンヘンから、パリまで歩いて旅した作家に、ヴェルナー・ヘルツォークがいます。1974年11月に。1878年に、ヴェルナー・ヘルツォークが発表した『氷上旅日記』に、詳しく出ています。
友人がパリで病気になって。ヴェルナーが歩いてパリまで行くと、病気が治ると信じて。
「太陽、春みたいだ。これにはびっくりする。どうやってミュンヘンから出ようか。」
『氷上旅日記』には、そのように出ています。
ミュンヘンが出てくる小説に、『ふちなし帽』があります。1966年に、トーマス・ベルンハルトが発表した物語。
「………わりと近いミュンヘンで薬学を勉強することは許されず………」
結局、ウィーンで学ぶことになるのですが。
この『ふちなし帽』を読んでおりますと、こんな描写も出てきます。
「………だのにいまやふちなし帽に支配されている………」
これはグレイの布製の「ふちなし帽」。
もし、ドイツ語なら、「ミュッツエ」mütze となるんだそうです。日本語なら、「ハンチング」に近いでしょうか。
どなたかドイツふうのミュッツエを作って頂けませんでしょうか。