井伏と井桁

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井伏は、井伏鱒二のことですよね。井伏鱒二は、お名前に「鱒」の文字があるからかどうか、釣りのお好きなお方だったようです。釣りについての随筆もずいぶんお書きになっています。
代表作は、『山椒魚』でしょうか。国語の教科書で『山椒魚』を読んだむきもおありでしょう。
井伏鱒二の長い人生の中でも、昭和十六年は、特別の想いがあった年ではないかと思われます。
昭和十六年。もちろん、第二次大戦中のこと。井伏鱒二は軍の命令で、シンガポールへ。主な目的としては、『昭南タイムズ』の創刊があったようです。シンガポールは当時の日本では、「昭南」と呼ばれていたので。
井伏鱒二は、昭和十六年十一月二十日から、昭和十七年十一月二十日まで、シンガポールに派遣されていたとのことです。
この間の様子は、随筆『徴用中の見聞』そして、『昭南日記』に、詳しく書かれています。

「………明治大正ころの中学生の着た吊鐘マントの型である。」

六月二十四日の『昭南日記』にそのように書いています。
井伏鱒二は、雨が多いので、レインコートを作ろうと思った。それで市内のハイ・ストリートに行って、生地を買う。一ヤール、二円五十銭だったとも書いています。
ところが「吊鐘マント」」が伝えられない。そこで井伏鱒二は絵を描いて、持って行って。それでも伝えることができなかった、と。

ここからも窺えるように、井伏鱒二の特技のひとつに絵がありました。井伏鱒二は少年のころのから、絵筆に親しんで、晩年に至るまでの趣味でもありました。
大正六年頃に、井伏鱒二が描いた自画像が遺っています。井伏鱒二、十九歳ころの。大正六年のことですから、当然、着物。絣の着物。井桁の模様。
井桁は、井桁模様の略。「井桁絣」とも。絣の模様にはことに多かったので。
どなたか井桁絣のシャツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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