バアとバーバー

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バアは、酒場のことですよね。bar
と書いて「バア」と訓みます。バアには「横木」の意味もありまして。店の前の「横木」から、「バア」と呼ばれるようになったとの説があります。
昔は、馬で乗りつけるわけですから、この横木に馬をつないで置いたんだそうですね。
バア bar
は、おしゃれとも無関係ではありません。ボタンホールの閂留め。あれもまた「バア」と呼ぶことがあるんだそうです。明治期に、バアに行ったお方に、夏目漱石がいます。

「夫から三人でバーへ行つた。バーは支那人が遣つてゐる。」

夏目漱石が、明治四十二年に発表した随筆『満韓ところどころ』に、そのように出ています。これは、大連での話として。
漱石の友人、中村是公に招かれて旅した時の紀行文になっています。その時代、中村是公は「満鉄」の総裁だったことによるものです。
このバアに行く前は、舞踏会もあったらしいのですが。

バアが出てくる随筆に、『ダンディズムについての個人的意見』があります。1990年に、田村隆一が発表した随筆集。

「ロビーに立ってバーの中の女性客がドリンクを飲む光景を見て、これは絵になるわいと感心している当人も実は相手の女性からも見られているということである。」

田村隆一が女性に飲んでもらいたいものとしては、「ブラックベルベット」。これは、カナディアン・ウイスキイの濃い水割りのことなんだそうですが。

「朝刊をもってきてくださるので、ビールをゆっくり飲みながら、目をとおす。」

田村隆一の『ダンディズムについての個人的意見』には、そんな一節も出てきます。
これは田村隆一の朝の散歩の様子。その頃の田村隆一は、鎌倉の材木座に住んでいたので。材木座には明治からの酒屋があったと書いています。
この酒屋の前が、幕末から続くバーバー。床屋。

「そうですねえ、わたしの曾祖父が、幕末まで、この場所で髪結床をやってましてね。」

田村隆一はこのバーバーで髭を剃ってもらいながら、そんな話を聞いたりしたんだそうですが。
曾祖父の床屋は、横濱ま行って、イギリス人に散髪を教えてもらったりもしたんだそうですね。
昭和十一年になって。大船に松竹の撮影所ができて。それで材木座などに住む俳優が殖えたんだ。そんな話も出てきます。

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