アンドリューは、男の子の名前ですね。アンドリューで、富豪でといえば、アンドリュー・カーネギーでしょうか。
アンドリュー・カーネギーは、1835年11月25日。スコットランドに生まれています。スコットランドの、ダンファームリンにおいて。
アンドリューのお父さんは、ウイリアム・カーネギー。リネン・ダマスクの手織職人だったのです。自宅兼工房だったので、アンドリューは手織ダマスクの、カッタンカッタンという音を聴きながら大きくなったのでしょう。
1848年。カーネギー家は、アメリカのピッツバーグに移住。アンドリュー、十三歳のことです。アンドリューは、父のウイリアムと一緒に、紡績工場に勤めることに。
1862年。アンドリュー・カーネギーは、「コロンビア石油会社」を、設立。この直後、油田を掘りあてています。この「コロンビア石油会社」の成功を基盤に、多くの会社に投資もはじめているのですが。
1873年。故郷のダンファームリンに公共浴場を寄付しています。1919年。アンドリュー・カーネギーは、八十四歳で、永眠。この時までに、当時の金額で。4億8千万ドルの寄付を行ったという。
アンドリューで、英國人登山家といえば、アンドリュー・アーヴィングがいます。アンドリュー・アーヴィングは、エヴェレスト登頂において、ジョージ・リー・マロリーと行動をともにした人物です。
1924年6月8日のことと、記録されています。マロリーとアーヴィングのふたりが、第六キャンプを出て、頂上を目指した時が。では、1924年のエヴェレスト登山隊の装備は、どんなふうであったのか。
「厚手のフランネル・シャツ、ラグラン袖のセーターを二枚、その上に防寒性の良いギャバジンの登山服上下を着けた。キャバジンのニッカー・ボッカーは、フランネルで裏打ちされている。」
ラインホルト・メスナー著『マロリーは二度と死んだ』には、そのように出ています。
また、英國の登山隊がその装備に、アノラックを加えたのも、この時が最初だったと、伝えられているのです。
事実、英語の「アノラック」 anor ak は、1924年頃から用いられているという。もともとはグリーンランドのエスキモーの言葉で、「アノラック」 ánorâq から出ているとのことです。
グリーンランドでは、アラザンなどの毛皮を、噛んで鞣し、その一枚革で、手縫した防寒具から生まれているという。もともとは必要から生まれた民族衣裳だったものと思われます。
まさか、ダマスク製のアノラックを仕立てようとは思いませんが。