レオンは、男の子の名前ですよね。レオンは、フランス人などにも少なくありません。イタリアだと、「レオーネ」でしょうか。
イギリスなら、「ライオン」がそれに近いのでしょう。
たとえば、レオン・ティスラン・ド・ボオル。フランスの気象学者。このレオン・ボオルは、1902年に「成層圏」のあることを発見した人物、
レオンはざっと二百回ほど宇宙気球を上げて、成層圏のあることを確認したという。レオン・ボオルは、1913年1月2日に、五十七歳で世を去っています。
もしフランスのレオンをイギリスのライオンに置き換えるなら、ロンドンにレストラン「ライオン」があります。ピカデリーサーカスに。これはジョセフ・ライオンなる人物がはじめたので、その名前があります。
明治四十年頃。「精養軒」の、北村宇平が「ライオン」を訪れた、気に入った。それで明治四十四年に、今の銀座四丁目に、「カフェエ・ライオン」を開いたのであります。
明治期の「カフェエ」と今のカフェは同じものではありません。もっとバアとかキャバレエに近いものだったのです。
「小山内君に逢ふ。ライオン酒館に入りて語る。」
大正九年四月十三時日。永井荷風の『斷腸亭日記』には、そのように書いてあります。「小山内君」は、小山内薫のことかと思われます。大正九年四月十三日の夜。永井荷風は小山内薫と、一献傾けていたわけですね、「カフェエ・ライオン」で。つまりは、こんなふうな使われ方をする所が、「カフェエ」だったのです。
むろん綺麗なお姉さんがいたのですが。お姉さんは決して同席はしないのが、決まりでもありました。
「白いエプロンの紐を大きく前で蝶結びにした間に、柴山細工の根付をつけたビールの栓抜をはさみ、金鎖のついた高価な鉛筆をぶら下げてゐるのは、銀座辺りのカツフヱーでのみ見られる風俗であらう。」
永井荷風は、昭和六年に発表した『カツフヱー一夕話』の中に、そのように書いています。
ライオンに限らず当時のカフェエは、着物姿に白いエプロンが制服だったのです。
レオンが出てくる小説に、『ごった煮』があります。フランスの作家、ゾラが、1882年に発表した物語。
「レオンは立派な結婚を唯一の希望として…………………。」
レオン・ジョスランという青年の様子が描かれています。また、『ごった煮』には、こんな描写も。
「彼の上着のボタン穴にはレジオン・ドヌール勲章のリボンが小さくきちんと結ばれていた。」
これは裁判官の、ジュヴィリエという人物の着こなし。
レジオン・ドヌール勲章は、正装の時に付けるもの。ですが、ふだんの略装用には、赤い糸を縫いとることがあります。
もしもその人物の襟穴に、赤い、小さな、縫取りがあったなら、「レジオン・ドヌール勲章」の持主ということになります。