マカロニは、パスタのひとつですよね。スパゲッティと似てなくもありませんが、また別のものです。
むかしはよく。「マカロニの芯を抜いたものがスパゲッティになるんだよ」などと教えられたものですが。まあ、今の子どもには通用しないでしょうね。
マカロニがお好きだったお方に、池田満寿夫がいます。池田満寿夫著『男の手料理』の中で、自分で作る「マカロニサラダ」を絶賛しているから。
「ところがわが家のマカロニサラダは抜群なのだ。泣く子も黙るくらいである。」
これはもう、絶賛と言ってよいでしょう。また。
「秘訣は少々の酢を加えるだけだ。」
とも書いているのですが。
この池田満寿夫のマカロニ好きと関係があるのか、どうか。池田満寿夫は、「ペンネ・アラビアータ」もお得意であったらしい。
池田満寿夫は、マカロニにせよペンネ・アラビアータにせよ、客が来たとき、ご自分でお作りになるところが、立派。
一方、マカロニはマカロニでも、マカロニ・グラタンに郷愁を感じるのが、山田太一。
山田太一は、『路上のボールペン』と題する随筆家の中で、マカロニ・グラタンについて、延々と語っています。山田太一は若い頃、喫茶店の片隅で初めて食べたマカロニ・グラタンの味が、忘れられなくているらしい。
山田太一の『路上のボールペン』には、シャンソンの話も出てきます。パリの「オランピア劇場」で、イヴ・モンタンの舞台を観た時の話。1981年のことだから、山田太一、四十七歳のときのこと。
モンタン、六十歳の、ワンマン・ショウ。
「一ファンのいい草ではあるけれど、容姿は文句なく若い時より魅力的である。」
イヴ・モンタンもまた、たしかにその通りだったでしょう。ヤングの姿。マチュアの姿。
日本でも似たような例を探せるでしょう。たとえば、高倉 健。ヤングの高倉 健より、マチュアの高倉 健のほうが、はるかに………。
ヤングが良い、マチュアが悪いという問題ではないのです。
生き方の姿勢の問題だと思います。心が若く、美しくあれば、人は老いてなお、魅力を発揮するのです。