フロイトは、ジークムント・フロイトのことですよね。
1856年5月6日、オーストリアに生まれています。ふつう精神分析の創始者と考えられている人物。偉い学者。
フロイトとおしゃれもまったく無関係ではなくて。お父さんのヤーコプ・フロイトは、ウール・マーチャントだったという。ジークムントももしかすれば、お父さんの跡を継いで、毛織物を扱っていた可能性もあるでしょう。
ジークムント・フロイトもまた悩みに悩むお方であって。結局、「精神分析」を発明した。そんな考え方もあるようですね。これもまた、「餅は餅屋」の喩えに入るのでしょうか。
フロイトを引き合いに出して、坂口安吾を語った人物に、柄谷行人がいます。
「………漱石が写生文家について述べたことは、フロイトがユーモアについて述べたことと、まったく同じなのだ。」
柄谷行人著「坂口安吾論』には、そのように出ています。
坂口安吾は逸話の多いお方で。まあ、はっきり申して、奇人でありましょう。もしも、
坂口安吾・奇人論を語るなら、フロイト先生にご登場頂くのが最適かと思われます。
「当時の石神井では、小さなおそばやさんがライスカレーをこしらえていて、私が百人まえ注文に行ったらおやじさんがビックリしていたがうれしそうにひき受けた。」
坂口三千代著『クラクラ日記』には、そのように出ています。
坂口安吾はある日突然、妻の坂口三千代に、「カレーライス百人前!」と言ったので。
どうして石神井なのか。石神井の壇 一雄の家に居候していたので。
でも、「百人前のカレーライス」はちょっと信じられないのですが。
「云い出したら金輪際後にひかぬから、そのカレーライスの皿が、芝生の上に次ぎ次ぎと……………………。」
壇 一雄の随筆、『坂口安吾』にも、そのように出ています。壇 一雄は実際に百人前の
カレーライスを見ているわけですから、真の話なのでしょう。
『クラクラ日記』は、昭和四十二年の刊行。これは当時、雑誌『酒』の編集長だった佐々木久子の勧めによるもの。「クラクラ」は、三千代が経営していた銀座の文壇バアの名前。
「クラクラ」の名づけ親は、獅子文六。
坂口三千代は、『クラクラ日記』の出版記念として。「オメガ・シーマスター」を貰ったという。
坂口三千代がはじめて坂口安吾に会って時の様子はどうだったのか。
「彼は黒いビロードが襟にちょっとついている黒いオーバーを着ていた。」
坂口三千代著『クラクラ日記』に、そのように書いています。
時代は戦後間もなくの、新宿。「チトセ」というバアで。
昭和二十二年頃。坂口安吾は、ブラック・ヴェルヴェット・カラアの外套を着ていたわけですね。
どなたかブラック・ヴェルヴェット・カラアのスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。