シャンゼリゼは、パリの大通りの名前ですよね。
🎶 オー・シャンゼリゼ……………。
そんな歌もあるくらいです。歌の『オー・シャンゼリゼ』は、もとイギリスの歌だったんだとか。1968年の『ウォータール通り』が原曲。フランスでウォータール通りでは具合あ悪いので、『オー・シャンゼリゼ』に変えたんだそうですね。
シャンゼリゼは、「エリゼの園」の意味なんだとか。幅にして、70メートル。長さにして、1880メートル。
このシャンゼリゼ通りの計画は、1667年にはじまっています。ルイ十四世の命によって、コルベエル長官が練ったものと伝えられているようです。
シャンゼリゼが出てくる童話に、『シャンゼリゼ大通りのクジラ』があります。1937年に、フランスの作家、レオポルド・ショヴォーが発表した物事。
「クジラは、シャンゼリゼ大通りを、歩いてく。尾びれのさきで、まっすぐに、しゃんと立って。」
日本語訳は出口裕弘。これはあくまでも童話ですから、「ルノー君」という男の子が出てきます。
ルノー君は、レオポルド・ショヴォーの息子。もともとは、レオポルド・ショヴォーが、ルノーに語って聞かせた物語が最初だったらしい。いや、物語ばかりではなく、挿絵も、最初はショヴォー自身が書いたんだそうですね。
レオポルド・ショヴォーは、数多くの童話を書いてもいます。その中でもことに有名なのが、『年を経た鰐の話』。昭和十六年に、山本夏彦の訳で、櫻井書店から刊行されています。
この『年を経た鰐の話』が長く絶版で、幻の訳本となっていました。つまり「山本夏彦訳」ということで話題になり、また山本夏彦自身は復刊に積極的でなかったので、「幻の訳本」になったわけであります。
「かれは青春時代に、ピラミッドが造られるのを、その目で見たのだ。」
出口裕弘訳では、そのように出ています。ここでの「かれ」は、鰐のこと。ですから、「年を経た鰐」なんですね。
シャンゼリゼが出てくる小説に、『マルテの手記』があります。1910年に、リルケが発表した物語。リルケがパリ滞在中に書いた物語なので、シャンゼリゼが登場するのも当然でしょう。
「………ちょうどシャンゼリゼーの方角から街角を曲って背の高い痩身の男が一人歩いてきた。」
「僕」もまた、パリの街を歩いていて。チュイルリー辺りから大通りへ。
では、「僕」はどんな恰好なのか。
「僕のカラーだけはよごれていない。ワイシャツもきれだ。このままどこかブウルヴァール大通りの喫茶店へはいって、僕は平気で菓子を入れた大皿へ手を伸ばすことだってできるだろう。」
リルケの時代にも、シャツの生命は「清潔」ということにあったのでしょう。もっとも今の時代と異なっているのは、カラアが別添えになっていたことでしょうか。
どなたか付襟式のシャツを仕立てて頂けませんでしょうか。