文鎮は今でもよく使うんでしょうか。文鎮は、紙などを押さえておくための重し。そうそう、「ペーパーウエイト」のことですよね。
北原白秋は硝子の文鎮を愛用していたという。立方体の、透明の、硝子の文鎮を。
「この硝子の文鎮をただ一つ与へられて、、これでお前一生を過ごせと、神様から命ぜられたとしても、或いは私は楽しめるであらう。」
そんなふうに書いています。よほどお好きだったんでしょう。
北原白秋は詩を原稿用紙に書いた。それで、文鎮は必要品でもあった。原稿用紙の上に硝子の文鎮を置いて。それで書いた詩のひとつが、『この道』。
この道はいつか来た道
ああ そうだよ
あかしあの花が咲いている
昔はニセアカシアのことをアカシアといったんだそうです。ここでの「あかしあ」も、たぶんニセアカシアなんでしょう。
『いつかきた道』というミステリがあります。1939年に、ウイリアム・アイリッシュが発表した短篇。当時の『アーゴシー』誌12月号に掲載されたもの。いかにもウイリアム・アイリッシュらしい不思議な物語なんですが。
『いつかきた道』の主人公は、スティーヴン・ボティリヤーという人物。スティーヴンは、どんな服装なのか。
「一九四七年ロンドン仕立ての白いリンネル・スーツにくるまれ、のばした片手の手首に腕時計の文字盤が光っている。」
1937年の小説に、「一九四七年」のスーツが出てくる。これはもう、ウイリアム・アイリッシュならではの世界でしょうね。「ロンドン仕立て」ということは、サヴィル・ロウでしょうか。
なにかお気に入りのスーツを着て。愛用したくなる文鎮を探しに行くとしましょうか。