パンとパンタロン

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パンは、美味しいものですよねえ。パンは食事の恋人であります。いや、時と場合によっては、パンがすでにして食事そのものということだってあるでしょう。
パン屋でパンを買う時「パンをくださいな」と言います。あたり前の話ですが。でも、どうして「ブレッド」とは言わないのか。第一、「ブレッド屋」とも言いませんからね。
日本語になった英語もたくさんあるのに、どうしてパンは「ブレッド」ではないのか。たとえば、「あんパン」。ふつう「あんブレッド」とは申しません。
これは「ブレッド」のことよりも先に「パン」が先に日本に入ってきたからかと、思われます。

「おらんだ人常食に「ぱん」といふものを食するよし…………」。

寛政十一年に出た『蘭説弁惑』という古書には、そのように出ています。寛政十一年は、1799年のことですから、古い。日本語のパンはおそらく、ポルトガル語の「ぱん」にはじまっているのでしょうね。そんなわけで、今なおブレッドより「パン」のほうが多く用いられるのかと。
パンのひとつに、トーストがあります。トーストはどんな風にして焼くのか。

「前々日ぐらいのパンを約一センチの暑さに切ってオーブンに入れ、まずパンの水分を抜いてから焼色をつけるのです。」

茂出木心護著『洋食や』には、そのように書いてあります。なぜか。
昭和七年ころ。神楽坂のある喫茶店があって。この喫茶店ではトーストを焼くのに、厚い厚い鉄板を使っていて。

「焼けてくるとスーッと鉄板をはなれ、パンの表面はつるつるして鏡のよう、まるめたバターが気持よくのびていました。」

茂出木心護は、その神楽坂のトーストが忘れられなかったに違いありません。
パンは朝食にもよろしいし、また晩餐のお供でもあります。そうそう晩餐で想い出した人に、ヴァンサン・イスパがいます。ヴァンサン・イスパは、巴里のシャンソン歌手。よくモンマルトルの「シャ・ノワール」で歌っていた人物。ヴァンサン・イスパは歌手であると同時なかった、作家でもありました。たとえば、『パンタロン』と題する短篇をも書いています。この中に。

「おだやか人たちは湖のような無地のパンタロンをはいておりますし、格子柄のパンタロンはガラス屋さん専用のようです。」

『パンタロン』は、1921年の発表。1920年頃の巴里では、ガラス屋は格子柄のパンタロンを履いたものなのでしょうか。ではパン屋はどんなパンタロンだったのか。
まあ、それはともかく。お気に入りのパンタロンで、美味しいパンを探しに行くとしましょうか。

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