コーヒーは、人生の休止符ですよね。歌を上手に歌うには、上手な息継ぎが欠かせません。同じように、コーヒーは人生の「息継ぎ」になってくれます。
コーヒーは単に味の佳しあしだけでなく、一杯を飲み干す七分ほどの時期が貴重なのでしょう。
コーヒーがお好きだったお方に、常盤新平がいます。常盤新平は何度もコーヒーの話をお書きになってもいます。
常盤新平は喫茶店に行くと、「ブラック・コーヒー!」と言った。もちろん時代ということもあるのでしょう。常盤新平は「喫茶店」がお好きだった。カフェよりも。それも、町場の、いつか消えるのではないか、とも想えるような喫茶店が好きだった。また、そのような「いつか消えるのではないか」風喫茶店をよくご存じでもあって。
たぶん常盤新平はコーヒーよりも、「いつか消えるのではないか」風喫茶店での十五分間を熱愛したのでしょう。
「私は、コーヒーの味がわからない」
そうも書いています。半ば、照れ、半ば、本音でありましょう。「ブラック・コーヒー!」の口癖も、店の人になるべく手間をかけたくないという優しさの表れだったろうと、考えているのですが。
常盤新平がコーヒーより好きだったのが、ショオ。アーウイン・ショオ。もし常盤新平がアーウイン・ショオを読むことがなかったなら、たぶん小説家にはなかったはずです。学生時代に、偶然、アーウイン・ショオに触れて。以来、ショオ、ショオ、ショオ。最期の最期まで、ショオを尊敬した。こんな例も珍しいのではないでしょうか。
常盤新平訳の『夏服を着た女たち』は、名著にして、名訳であります。常盤新平にとっての『夏服を着た女たち』は、宝石だったのですから。
アーウイン・ショオは短篇の名手ということになっていますが。珍しく長篇もあって、さすがに冴えていて、読ませてしまいます。それが、『真夜中の滑降』。この中に。
「千鳥格子のジャケットとコール天のズボンの上に、短くていきなズック地の狩猟用コートを着ていた。」
これは洒落者の、マイルズ・フェビアンという人物の着こなし。ハンティングの場面ですから、当然のことですが。
一度、ハンティング・ジャケットに、コオデュロイのトラウザーズを合わせてみたいものですね。