松明とタフタ

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

松明は、古い時代からある、樹木に火をつけての明かりですがよね。でも、樹木の明かりがどうして「松明」なのか。樹木には、松を使うことが多かったから。
松には松脂、脂があって、よく燃える、長く燃える。それで、「松の明かり」と書いて、「たいまつ」と訓むんだそうですね。
松明から連想するものに、聖火があります。オリンピックでの聖火。聖火がないことにはオリンピックがはじまりません。
近代オリンピックでの聖火は、1936年のベルリン・オリンピックから毎年のように続けられています。「トーチ・リレー」。でも、どうして「聖火」なのか。それはゼウスの神に捧げる宗教的儀式として、はじまっているから。ゼウスの神に捧げる、聖なる火ということなのです。
古代オリンピックは、紀元前776年にはじまっています。というよりも、それよりも前に記録がないので。紀元前776年に、192、27㎞を、聖火を持って走った。でも、どうして、192、27㎞だったのか。これは、ヘラクレスの足の長さの600分だったという。
では、聖火はどのようにして得たのか。オリンポスの山に、大きな凹レンズを置いて、ここに聖火を生まれさせたと考えられています。
この聖火を扱うのは、巫女。採火式。巫女は聖火を手に、少女を従え、五十メートル歩き、最初の聖火リレー走者に手渡す。
1976年の、モントリオール・オリンピックでの、最終リレー走者は、アベック。男女二人の走者はひとつの聖火を持って走った。
松明が出てくる小説に、『コマンチ一族』があります。スタンダールが、1837年に発表した物語。

「聖旗のそばで燃える松明をもっていた修道会員のひとりの頭上に、花瓶が落ちてきたため…………………。」

また、『コマンチ一族』には、こんな描写も出てきます。

「娘の服は青いタフタ織で、腰に太い帯がついていた。」

タフタは、「琥珀織」とも。ファイユにも少し似ています。平織りの、薄絹。多くは女性のドレスに向くものです。
でも、タフタのシャツもないではありません。それはまるで神に捧げる聖なる布のようであります。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone