ベドフォードとペグトップス

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ベドフォードは、固有名詞ですよね。もちろん、B edf ord と書きます。地名にもありますし、人名にもあります。固有名詞ですから、当然でもあるでしょう。
十八世紀の倫敦に、「ベドフォード・コーヒー・ハウス」というのが、あったんだそうです。「コヴェントガーデン劇場」の近くに。
十八世紀の倫敦は、コーヒー・ハウスの花盛りで、今のカフェに似ていなくもありませんでした。
とにかく一時は倫敦に、二千軒ほどのコーヒー・ハウスがあったという。コーヒー・ハウスと、今のカフェと、どこが違うのか。ひと言で申しますと、十八世紀のコーヒー・ハウスは文学サロンでもあった点でしょう。
日毎夜毎、有名無名の文士どもが集まって、談論風発。

「あるコーヒー店へ、若い男が鞭を上衣の釦へ結びつけて、赤い踵の靴を穿いて来た。それを sm art f el l ow だと評したら、其男がすぐに決闘を申し込んだ。」

夏目漱石が、明治四十年頃に発表した『文學評論』の一節です。夏目漱石は小説家である一方、英文学者であり、大学教授でもありましたから、こんな論文を教えていたのでしょうね。
もちろん、この「コーヒー店」がすぐに「ベドフォード・コーヒー・ハウス」であったとは、決めつけられません。が、似たようなことが当時の「ベドフォード・コーヒー・ハウス」で起きたとしても、なんの不思議もないでしょう。
ベドフォード・コーヒー・ハウスの前には、「バトン・コーヒー・ハウス」が、文壇ハウスだった。バトンが廃れるに従って、ベドフォードが文壇ハウスになった。
それというのも以前、バトンに置かれていた「投書箱」が、ベドフォードに移されたからであります。「投書箱」その時代のコーヒー・ハウス独特の方式で、各人各様、この箱に「投書」する。その「投書」を集めて、『タトラー』などの記事が作られた。
いかにその時代のコーヒー・ハウスの文人、客層の質が高かったかを、物語るものでしょう。
ベドフォードは、また生地の名前でもあります。英語としては、1862年頃から用いられているとのこと。正しくは、「ベドフォード・コード」。やや立体的なタテの畝織地。十九世紀には多く、乗馬服、乗馬ズボンの生地として使われたものです。
ベドフォードが出てくる小説に、『灯台へ』があります。1927年に、ヴァージニア・ウルフが発表した物語。

「また別の誰かはしばらくブリストルだかベドフォードだかに埋もれていたが…………………。」

また、『灯台へ』には、こんな描写も出てきます。

「確かにちょっと時代がかった風景で、クリノリンやペッグ・トップといった服装が似合いそうだった。」

「クリノリン」の説明は不要でしょう。「ペグ・トップ」は、「独楽」のこと。ここでは独楽に似た細長いトラウザーズのシルエット。足首で細くなっているのが特徴。
そうそう、ベドフォード・コードの生地で、ペグトップスのトラウザーズを仕立てるのも、一案かも知れませんね。

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