清らかなる液体宝石
オーデコロンは香りの良い水。ただし実際にはアルコールが大半であること、言うまでもない。フランス語の「オード・コローニュ」eau de cologne が英語にもなって、「オーデコロン」。
オーデコロンは香水に似て、香水ではない。「軽香水」でもあろうか。オーデコロンは香水に較べて、香料エキス分が軽く仕上げられる。だいたい数%ということが多い。もし香水をブランデーにたとえるなら、オーデコロンは白ワインでもあろうか。
オーデコロンはドイツ、ケルンの地で誕生している。イタリア人のジャン・ファリナが1714年頃に考案したという。ジャン・ファリナは理髪師で、1709年頃にケルンにやって来たとのこと。ジャン・ファリナは、レモン、オレンジ、ベルガモットなどのエキスをアルコールによって抽出した。そして「ケルッシュ・ワッサー」( ケルンの水 ) と命名。
やがて「ケルッシュ・ワッサー」は広くヨーロッパに知られるようになる。それは七年戦争によってであった。七年戦争は、1756年8月から1763年2月まで続いて戦争のこと。この時、多くのフランス兵がケルンにもやって来た。彼らは故郷への土産として「ケルッシュ・ワッサー」を持ち帰った。その時「オード・コローニュ」とフランス訓みにしたのである。オーデコロンは、イタリア人がドイツで創り、それをフランス人が世に広めた、そうも言えるだろう。
しかしオーデコロン以前にアルコール抽出の「匂い水」がなかったわけではない。ひとつの例を挙げるなら、ハンガリー・ウォーター。ハンガリー・ウォーターは、ハンガリー国王の妃、エリザベートが発明したと伝えられている。が、実際には側近の薬剤師の考案によるものであろう。ハンガリー・ウォーターの誕生は、1370年のことであったという。それはローズマリーもエキスをアルコール抽出したものであった。そしてこのハンガリー・ウォーターこそ、世界初のアルコール抽出の「匂い水」であったのだ。ということは「香水」のはじまりは、むしろオーデコロンに近いものであったのだろう。
香料の歴史は人類の歴史とともに、古い。が、「香水」以前には「香油」であった。「香油」の前が、「香木」。良い香りのする木を燃やして、美しい匂いを得た。それで「パーフューム」 perfumの語源が、「煙を通して」となっているのである。
ハンガリー・ウォーターの発明者とされるエリザベートは、1380年頃、八十三歳で世を去っている。エリザベートはいつもハンガリー・ウォーターで身体を洗っていたので、老いることがなかった。エリザベートが七十歳の時、ポーランド王から求婚されたほどであるという。もちろん伝説といえばそれまでのことではあるが、常に良い香りに近くにいることは、若さを保つ秘訣でもあるのだろう。
ハンガリー・ウォーターも、オーデコロンも、その初期には主に顔や身体を洗うことに使われた。今の石鹸にも似ていたのだ。オーデコロンを染み込ませた布で顔や身体を拭いたりもした。
「貴婦人が風呂に入る時には、オーデコロンやローズウォーターなどの香料をたくさん使うべきである。」
英国の作家、キャサリン・ウイルモットは、1802年6月19日付の「手紙」にそう書いている。この時代の風呂にはオーデコロンを使ったのであろう。
「そして絹ハンカチを匂わすために、嫁の持っているオードコローニュ香水をからっぽにしてしまった。」
フロベール著『ボヴァリー夫人』の一文。『ボヴァリー夫人』は、1856年の発表。十九世紀中葉のオーデコロンは主におしゃれ用となっていたものと思われる。
「バスルームから持ってきたオーデコロンを染み込ませた布でゾーヤの顔を拭きながら。」
ジョン・ル・カレの『シングル&シングル』に出てくる一場面。ゾーヤ・オーバンは、アリックス・オーバンの妻という設定。
オーデコロンはもっとふだん使いと考えて、多目的に活用したいものである。