小刀は、小さい刀のことですよね。「切出し」とも言ったものです。
フランス料理なら、「ペティナイフ」でしょうか。「小刀細工」の言い方がありますように、細かい仕事には小刀が役立ってくれるものです。
小刀から想い出すものに、「肥後守」があります。ごく簡単な折畳式の小刀で、表に
「肥後守」と刻まれていたので、肥後守。
戦後間もなくの少年は、誰もが肥後守を持っていたものです。鉛筆一方削るにも、肥後守。模型細工つくるにも、肥後守。
「………一升瓶の酒をラッパ飲みしている闇市の親分を肥後守のナイフで削るのだ。」
開高 健が、昭和四十四年に発表した『青い月曜日』に、そのような一節が出てきます。
「肥後守」はこの小説に何度か出てくるのですが。時代背景は、敗戦直後の大阪におかれています。
若き日の開高 健もまた、肥後守は身近な存在だったに違いありません。
「老人は中から眼鏡や財布やマッチや小刀や磁石などを出してから…………………。」
志賀直哉が、大正十二年に発表した『暗夜行路』にも「小刀」が出てきます。
「N老人」が「謙作」に、根付を見せる場面。場所は、京都。「N老人」宅。
この『暗夜行路』の中に。
「………老人の細君が、其日は常よりいい着物を着て、玄關へ出て來た。」
これに対して「謙作」は袴を着けないで訪問したので、「一寸氣になつた」と書いています。今ならネクタイなしで上着を着た姿にも似ていたのでしょう。
小刀が出てくる物語に、『世間胸算用』があります。元禄五年に、井原西鶴が発表した小説。この中に。
「………小刀細工に馬の尾にてしかけたる鯛釣もはやりやめば、今といふ小尻さしつまりて……………………。」
そんな文章が出てきます。ここでの「鯛釣」は、釣具のひとつ。まあ、今様に申しますと、
フライ・フィッシングでもあったでしょうか。
同じく『世間胸算用』に。
「………かかる浦人も今は小袖ごのみして、上方にはやるといふ程の事をききあはせ、見おぼへ、「千本松の裾形も古し。当年の仕出しは夕日笹のもやうとぞ」と……………………。」
ここでの「小袖ごのみ」は、着物に凝ること。また、「仕出し」は、今日の流行に近い言葉なんだそうです。
「………忠度のもとへ小袖を一かさねつかはすとて、千里のなごりのかなしさに、一首の歌をおくられける。」
鎌倉時代の、『平家物語』の一節に、そのような件があります。
ここでの「忠度」はもちろん、薩摩守忠度を指しています。今も言うか言わないか。
隠語の「薩摩守」は、「只乗り」のこと。むろん、「忠度」にかけてのシャレにはじまっているわけですね。
それはともかく「小袖」の古いことが理解できるでしょう。「小袖」は、長着のこと、
着物のこと、和服のこと。
まず襦袢を着、長襦袢を着、上に「小袖」を重ねて帯を結ぶ。その時の長着を「小袖」と呼んだものであります。
どなたかファイン・ウールで、小袖を仕立てて頂けませんでしょうか。