カラヤンとガムスバルト

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カラヤンは、高名な指揮者ですよね。
ヘルベルト・フォン・カラヤン。もちろん、K ar aj an と書いて、「カラヤン」であります。
ヘルベルト・フォン・カラヤンは、1908年4月5日。オオストリアのザルツブルグに生まれています。
ザルツブルグは音楽の都でもありますから、カラヤンが後に優れた指揮者になったのも当然のことかも知れませんが。
オオストリアの人たちは言うそうです。
「ザルツブルグの人は誰もがおしゃれだよ」と。
カラヤンがザルツブルグ出身だったからかどうかはさておき、カラヤンが指揮者きっての洒落者だったことは間違いないでしょう。
1978年に、エリエッテ夫人とともに写された写真を見ますと。シングル前四つボタン型のダーク・スーツをさりげなく着こなしています。
また、カラヤンはホワイト・タイを完璧に着こなした指揮者でもありました。
そして、カラヤンはパリ・モオドとも無関係ではありません。
カラヤンは、1958年10月8日。メジェーヴで、エリエッテ・ムーレと結婚。
エリエッテ・ムーレは1940年代末、クリスチャン・ディオールのマヌカンだったのですから。
1940年代末、偶然にディオールの店を訪ねた時。ディオールに会い、マヌカンになるように勧められたのです。
当時は、メゾンとマヌカンがいわば専属契約の形だったのは、ご存じの通りでしょう。
1950年代のはじめ、エリエッテはカラヤンに出会って、戀が生まれたのであります。
こうして1958年以降、エリエッテは、カラヤン夫人となったわけです。
カラヤンの故郷、ザルツブルグに話を戻しましょう。

「男性用の民族衣装は、灰色のウール地のトラハテン・スーツで、襟は緑色の折り返し、または小さな立て襟である。」

ダイアナ・バーグウィンが、1982年に発表した『ザルツブルク 町の肖像』には、そのように出ています。
この、「トラハテン」に合わせる帽子が、ティロリアン・ハット。ここにあしらうのが、
「ガムス・バルト」g ams b art 。「ガムス」は、「鹿」。「バルト」は、「髭」。つまり、直訳すれば、「鹿の髭」ということでしょう。
そういえばブラシみたいなものを飾ることがありますよね。
どなたかガムス・バルトが似合う帽子を作って頂けませんでしょうか。

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