ボッカチオとポロ・コート

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

『ボッカチオ』を作曲したのは、ズッペですよね。「スッペ」とも言うようですが。
もし『ボッカチオ』で分からない時は。「恋はやさし 野辺の花よ」と歌ってみれば、きっと想いだすでしょう。田谷力三で、一世風靡しましたから。
フランツ・フォン・ズッペの本名は。フランチェスコ・エゼキエーレ・エルメネジルド・スッペ=デメリ。ダルマチアの生まれなんだとか。
ある時。ズッペはおーすとに招かれて。当時の皇帝の前で演奏することに。その時、皇帝がズッペに訊ねる。「そなたの名前は?」。ズッペは困った。たぶんオーストリア人には覚えてもらえないだろうと。そこで一計を思いついて。「スープという意味の名前です」と。すると皇帝は言った。
「よろしい。今後そちの名は、フランツ・ズッペであるぞ」
これで今に、フランツ・フォン・ズッペで通っているんだそうです。
岩城宏之著『音の影』、「フォーレ」のところに出ている話なんですが。どうして「フォーレ」で「ズッペ」かというと。とかく作曲家の名前は発音し難い、と。岩城宏之説によると、「フォレ」ではないかと。最後の母音にアクセントがあるから、と。
フォーレは、ガブリエル・ユルバン・フォーレ。フランスの作曲家ですよね。フォーレの曲で有名なのは、『レクイエム』でしょうか。
フォーレはお父さんっ子だったようで。その大好きなお父さんが、1885年に世を去る。トゥルーズで。フォーレが父哀悼のためには作ったのが、『レクイエム』なんですね。
1886年から作曲をはじめて、1887年に完成。初演は、1888年1月16日。パリのマドレーヌ教会で。その頃、フォーレはマドレーヌ教会の合唱長だったから。
フォーレの『ペネロープ』が上演されたのが、1913年3月4日のこと。モンテ・カルロで。
1913年2月27日。アメリカのボストンで生まれたのが、アーウイン・ショオ。アーウイン・ショオの短篇に、『80ヤード独走』が。訳は、常盤新平。

「女の子たちは、午後に練習を見にくるとき、セーターの上にポロ・コートを着はじめていた。」

ここにポロ・コートを登場させることで、巧みに季節の移り変わりを表現しているわけですね。
さて、なにかコートを羽織って。『ボッカチオ』を聴きに行くとしましょうか。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone