ハムレットと半ズボン

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ハムレットは、シェイクスピア劇のひとつですよね。
『ハムレット』は、だいたい1600年頃に書かれた物語ではないかと考えられているらしい。少なくとも今から四百年以上も前の演劇ということになるでしょう。
数多いシェイクスピアの演劇の中でも、もっとも長丁場であります。科白も長い。演じる役者としても大仕事ではないでしょうか。
『ハムレット』でよく知られている科白が、「生くべきか、死すべきか、それが問題」。
もちろん、翻訳によって、いろんな科白にもなるんですが。
原科白は。「トゥ・ビイ・オア・ノット・トゥ・ビイ。ザッツ・イズ・ザ・クエッション」なんだそうですが。

「存ふる? 存へぬ? それが疑問ぢゃ」

明治三十九年に、坪内逍遥の翻訳では、このようになっています。明治三十九年の坪内逍遥訳は、日本ではじめての『ハムレット』日本語版です。

「沙翁の「ハムレット」を讀むと、やはり天才の巨腕を感ずる。」

昭和十六年に、太宰 治が発表した『新ハムレット』に、そのような文章が出てきます。これは「はしがき」の一部で、これ以降に、太宰 治版の『ハムレット』がはじまるのです。

『太宰君の今回の『新ハムレット』は面白いのである。」

同じく昭和十六年に、井伏鱒二は、『太宰治著 新ハムレット』と題する随筆に、そのように書いています。
太宰 治は『新ハムレット』の後半部分を、甲府の宿で書いたらしい。その同じ宿に泊っていたのが、井伏鱒二。井伏鱒二はご自分で、太宰 治の執筆の邪魔をしたのではと、思っていたので、余計その仕上がりが気がかりだったそうです。

「………福田君も外国で芝居を見た中でシェイクスピアが一番いいと思ったそうだ。」

1955年に、大岡昇平は、随筆『福田さんのハムレット』に、そのように書いています。
もちろん、福田恒存について。どうも文士はシェイクスピアの『ハムレット』が気になって仕方ないようですね。

太宰 治が『新ハムレット』を仕上げたように、幸田露伴には、『新浦島』があります。いうまでもなく、「浦島太郎」に想を得ての、露伴なりの創作なのですが。この中に。

「………黒天鵞絨の毛の長きに真珠の笹縁つきたる上衣、猩猩緋の半洋袴、毛飾り麗しき薬研帽子……………。」

そんな一節が出てきます。幸田露伴は、「半洋袴」と書いて、「はんずぼん」のルビを添えているのですが。
『新浦島』は、明治二十八年の発表。ということは、明治二十年代には「半ズボン」の言葉があったのでしょう。
どなたか真紅の半ズボンを仕立てて頂けませんでしょうか。

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