ベルナールとペンシル・ストライプ

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ベルナールは、フランス人に多い名前ですよね。Bernhardt と書いて、「ベルナール」と訓むことが多い。
「ベルナール」は名前にも、姓名にもあります。たとえば、ベルナール」ビュフェだとか、サラ・ベルナールだとか。
サラ・ベルナールが、フランスの大女優の名前であることは、言うまでもないでしょう。
サラ・ベルナールは1923年3月26日に、七十九歳で人生の幕を下ろしています。今年は没後100年ということになるのでしょうか。
しかしそれでも今も、サラ・ベルナールが生きているかのように語られる珍しいアクトレスだと言えるでしょう。
フランソワーズ・サガンの著作に、『サラ・ベルナール』があります。これは、サガンとベルナールとが、手紙の交換を記録した文章となっているのです。
サガンがベルナールに手紙を書き、ベルナールがそれに対しての返事を書いて。お互いの手紙だけで構成された伝記なのであります。
フランソワーズ・サガンの頭の中では、たしかにサラ・ベルナールは生きていたのでしょう。

フランスの画家、クレランは、一生、ベルナールの肖像画を描くことに命をかけた人物でありました。ベルナールは黄金の声と薔薇の容姿を持っていた女優であったのです。
でも、ベルナールは男役でも好評だったのです。
1900年3月。『若き鷲』に出演。この時、ベルナールは五十六歳。それで十九歳の青年役を美事に演じたという。『若き鷲』終演後、拍手鳴りやまず、舞台の幕は三十回も上げられたそうです。
サラ・ベルナールは彫刻の腕もプロ級でありました。サラ・ベルナール作の彫刻『エドモン・ロスタン像』は、今も、健在とのことです。
サラ・ベルナールは一種の奇人でもありまして、彼女の寝台は棺桶。薔薇の木で特別に作らせた棺が夜毎の心やすまるベッドだったのです。

ベルナールが出てくる創作に、『彼女たち』があります。2007年に、フランスの作家、J・B・ポンタリスが発表した短篇集。

「ベルナールはタイトルにちらっと目にやると、言ってのけた。」

これは「ベルナール」という名前の青年。
また、短篇集『彼女たち』には、こんな描写も出てきます。

「白いドレスに身をつつんだ花嫁はまばゆいほど美しく、新郎は、この日のために、濃紺にほそじまの入ったスーツを買っていた。」

もちろん結婚式での衣裳として。
ここでの「ほそじま」は、ペンシル・ストライプではなかったでしょうか。
どなたかペンシル・ストライプの完璧なスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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