もり蕎麦は、ざる蕎麦に似ていますよね。せいろの上に蕎麦を盛ってあるだけなので、「もり蕎麦」。刻み海苔も乗っていないほうの、蕎麦。簡素この上もない蕎麦の食べ方であります。
もっとも蕎麦通は、食べるではなく、「たぐる」と言うのですが。たぶん江戸語なのでしょう。
江戸っ子は蕎麦に、ほんの少ししか汁をつけなかったんだそうですね。それが粋とされていたから。ある蕎麦通が、死ぬ前にひと言。
「ああ、いっぺんでいいから、たっぷりと汁につけて喰いたかった」
まあ、なにごとも粋を気取るのは、たいへんなのでしょうね。
もり蕎麦が出てくる小説に、『草まくら』があります。
丸谷才一が、昭和四十一年に発表した物語。時代背景は、戦争末期に置かれているのですが。
『笹まくら』は、数多い小説の中でも、「名書き出し」のひとつだと考えられています。それは。
「香奠はどれくらいがいいだろう?」
「浜田庄吉」の、想いとして。ある女の死にふれて。
物語の暗示性が深い書き出しなので。
丸谷才一の『笹まくら』の中に。
「信州の四月はまだ寒くて、もり蕎麦が好きな(いや、本当はざるが好物なのだが、東京を出てからは、三年以上ものあいだ、蕎麦と言えばもりと決めて倹約している)杉浦も、かけを注文した。」
四月の信州で蕎麦をたぐりたくなるのは、当然でしょう。信州は昔から蕎麦所ですから。そしてたしかに寒い時には、もり蕎麦が向いているのかも知れませんが。
蕎麦が出てくる小説に、『浅草紅団』があります。
昭和四年に、川端康成が発表した物語。
隣の三畳の女がこそこそ出て行った。下で蕎麦をすする音が聞えた。
これはいったいどんな蕎麦だったのでしょうか。
川端康成の『浅草紅団』には、こんな描写も出てきます。
「歌三郎は庇の大きい鳥打帽をかぶり、もぢり外套のポケットに両手を入れたまま、彼女の前へ足を投げ出しているのだ。」
ここでの「もぢり外套」は、男物の、和装コートのこと。着物の上から羽織れるようになっている外套。戦前までは、ごく一般的なコートだったようです。
着物の袖が収まるように、大きな角袖になっているのが、特徴。前開きは、比翼ボタン式。
どなたかもぢりを復活させて頂けませんでしょうか。