ヴェクサシンは、曲の題名にもありますよね。Vexations と書いて、「ヴェクサシン」と訓みます。フランス語。
ヴェクサシンには「いやがらせ」の意味も在るんだとか。あるいはまた、「自尊心を傷つけるもの」だとか。
『ヴェクサシン』は1895年頃に、フランスの作曲家、エリック・サティの作った曲。曲の一小節自体は短いものです。が、その一小節を、840回繰り返しなさいとの注釈が添えられています。
『ヴェクサシン』をエリック・サティの指示通りに840回演奏いたしますと、だいたい十五時間くらいはかかるんだそうですね。
十五時間。まあ弾くほうにしてみれば、「いやがらせ」とも感じられるのかも知れませんが。
1963年9月9日。ニュウヨークで、ジョン・ケージが『ヴェクサシン』の演奏をしたことがあるんだそうです。その時には、夕方の六時からはじめて、翌日の零時四十分までかかったらしい。
日本でも、1975年に、約四十人の音楽家が参加して『ヴェクサシン』の演奏が行われたという。その時には、ざっと十三時間。
「彼等といっしょに、近くの店で眠気覚ましのコーヒーと朝食で完奏( ! )を祝ったものだった。何とも楽しいお思い出である。」
ピアニストの高橋アキは、『サティ連続演奏会覚え書』の中に、そのように記しています。高橋アキは、840回目の『ヴェクサシン』を弾いたので。
ここに「彼等」とあるのは、最後まで会場に残っていた十数人の聴衆を指しているのですが。
エリック・サティがお好きだった作家に、坂口安吾がいます。坂口安吾には、『エリック・サティ』の翻訳があるのです。原文は、ジャン・コクトオ。それを安吾が日本語に訳して。
安吾の『エリック・サティ』は、昭和六年の発表。坂口安吾は単なる翻訳として訳したのではありません。
サティを聴いて聴いて。サティにl惚れた挙げ句、コクトオの文章に出会ったものです。
たとえば安吾は翻訳にかかる前。ある歌手を訪れて、サティの『おまえが欲しい』を聴かせてもらってもいます。
「しかし永遠に青年である音楽が生まれた。エリック・サティの音楽がそれである。」
坂口安吾はそのように訳しています。
そもそもの『エリック・サティ』は、1919年12月18日に、ブリュッセルでコクトオが講演した内容に基づいています。
つまり1919年には、コクトオはすでにサティの音楽性を認めていたのでしょう。これは当時の風潮としては非常に早い例だったものと思われます。
現在、エリック・サティのファンは決して少なくありません。が、1910年代には、「風変わりなピアノ弾き」という印象だったでしょう。
それはフランスの文化人の間でも。日本ではさらのことであります。事実、坂口安吾の『エリック・サティ』を読んでから、興味を持った人も少なくないようです。
「ビロードづくめで、いつも巨大な杖を携えたこのがっしりとした好人物に、私はごく自然に気づいていた。」
オルネラ・ヴォルターの『エリック・サティの郊外』に、そのような文章が出てきます。レオン・ヴェシェールの印象として。レオン・ヴェシェールは、サティのことを画家だろうと思っていたそうですが。
当時、巴里では画家がよくビロードの服を着ていたので。
ビロードのフランス語は、「ヴェルール」velours 。
でも、私は勝手にサティの服は、細畝のコール天だったと考えているのですが。
エリック・サティは同じ黒い上着を何着も持っていたそうですが。
どなたかヴェルールの上着を仕立てて頂けませんでしょうか。