リーは、人の名前にありますよね。たとえば、ブルース・リーだとか。ブルー・ジーンズの銘柄にも、「リー」があります。
女優の名前で挙げるなら、ヴィヴィアン・リーでしょうか。ジーンズは、Lee と書きますが、ヴィヴィアンのほうは、Leigh と書きます。ヴィヴィアン・リーはもちろん、英国の女優。でも、アメリカ映画にも多く出演しています。
これも一例ではありますが、『欲望という名の電車』。『欲望という名の電車』におけるブランチ役。「名演」の一語に尽きます。今も昔も、仮にも女優なら一度は夢にみる役でありましょう。それくらいに、複雑微妙、奥の深い演技を求められる役であります。
テネシー・ウイリアムズの脚本『欲望という名の電車』を読んで、すぐに反応したのが、ヴィヴィアン・リー。是非とも「ブランチ」を演じてみたい。
1949年に、『欲望という名の電車』上演。舞台上での演劇として。それが拍手喝采となって、1951年に映画化。その演出も監督も、エリア・カザン。カザンはヴィヴィアン・リーについて、こんな風に言ったという。
「彼女は、もし必要とあれば、砕けたガラスの上を這い蹲る覚悟ができていた。」
むかし、英国に、ジョージ・ヴァンダラー・リーという音楽家がいた。このジョージ・ヴァンダラー・リーの弟子だったのが、ルシンダ・エリザベス。ルシンダ・エリザベスが生んだ男の子が、ジョージ・バーナード・ショオ。
ジョージ・バーナード・ショオは、アイルランド、ダブリンの生まれ。でも、1876年に倫敦へ。これはお母さんが倫敦でリーについて声楽を学んでいたことと、関係しています。
バーナード・ショオが1913年に書いた戯曲が、『ピグマリオン』これが後に映画化されて、「マイ・フェア・レディ』になったわけですね。
原作の『ピグマリオン』のト書きに、こんな描写が出てきます。
「いかにも知的職業の者らしい黒のフロックコートに白いリンネルのカラーと黒いシルクのネクタイをつけている。」
これはヒギンズ邸での、ピカリングの着こなし。「リンネル」は今の、リネン。亜麻。「リンネル」は明治語でしょうか。
十九世紀の英国紳士はまず例外なく、リネンのシャツを着たものです。時にはリネンのシャツに、リーのジーンズを合わせてみましょうかね。