ル・アーブルは、フランスの美しい町ですよね。フランクの北西部、ルーアンにも近い港町。ル・アーブルで、育った画家に、モネがいます。もちろん『睡蓮』の絵で知られる、クロード・モネ。
クロード・モネは、1840年11月4日に巴里で生まれています。お父さんは巴里で、食料品店を開いていたという。それがなにかの事情で、ル・アーブルに移るんですね。1845年のこと。クロード・モネが四歳くらいの頃。
ですからモネは、「ル・アーブルで育った」と言って良いでしょう。モネはほんの小さい時から絵を描くのが上手だった。
そのモネがブーダンと出会うのが、1856年頃だと考えられています。ウジェーヌ・ブーダンも画家。画家なんですがその頃は巴里をひきあげて、故郷のル・アーブルで画材屋を開いていた。
たぶんモネがブーダンの画材屋に行ったのでしょう。その時、ブーダンは若いモネに言った。
「外の光の中で描くことを覚えなさい」
今は「外光派」などと呼ばれて、外で絵を描くのはあたりまえになっています。でも、十九世紀には室内のアトリエで絵を仕上げるのが常識だったのです。
モネはブーダンの言葉に出会ってから、ほとんどの絵を外の光の中で描くようになったのです。
1882年のある日、モネは列車に乗って巴里に向ったことがあります。その時、偶然に薔薇色の一軒の家を発見。「いい家だなあ。あんな家に住んでみたいなあ。」
その薔薇色色が、今のジヴェルニーの屋敷なのです。さっそく、1833年に移ったわけです。
モネはジヴェルニーの屋敷に住み、庭を造り、池を造り、美食を愉しんだ。どうしてモネが美食家だったと言えるのか。モネは克明な『料理ノオト』を遺しているのですから。
モネの『料理ノオト』には、たとえば「パテ・ド・カナール」が出ています。「鴨のパテ」。
これは鴨に添えて仔牛も使うのですが。前もって鴨と仔牛とを、ワインに12時間漬けておく。この漬けるワインにコニャックを足しておくのが、モネ風なんだそうですが。
ル・アーブルが出てくるミステリに、『富豪ガラテイの陰謀』があります。ピーター・カニングハムが、1987年に発表した物語。
「はるか彼方、ルアーブルにある外形のずんぐりした石油貯蔵タンクが望遠できた。」
また、『富豪ガラテイの陰謀』には、こんな描写も出てきます。
「キツネ狩りの光景を模様にあしらったネクタイの中央には、これまたキツネの頭をかたどった純金のタイピンが刺さり、きらきらした両の目玉はルビーでできている。」
これは保険会社の社長、ジム・クラップの着こなし。
ネクタイ・ピンもいいですが、ルビーとは羨ましい限りであります。まあ、好みのピンを挿して、ル・アーブルを旅する夢でもみるとしましょうか。