イギリスとインヴァネス

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イギリスは、英国のことですよね。これはアメリカを米国というのにも、似ているでしょう。
フランスを、仏国というように。仏国は、英国のお隣さんでもあります。もっともドーヴァー海峡を挟んではおりますが。
十九世紀以前には、英国でにっちもさっちもいかなくなると、仏国へ。そんなこともあったらしい。仏国で具合が悪くなると、英国へ姿をくらますとか。
古くはボオ・ブランメル、新しくはオスカー・ワイルド。さして新しくもありませんが。英國の天才、ワイルドがフランスで世を去っているのは、よく知られているところでしょう。
そんなわけで、仏国が英国の影響を受け、英国が仏国に感化される。そんなことも珍しくはなかったのであります。
たとえば、『パンチ』 P unch 。『パンチ』は十九世紀の英国を代表する漫画新聞。この『パンチ』、実はフランスの影響から生まれているのですね。
『パンチ』の創刊は、1841年7月17日。最初五千部刷って、すぐに売れ。すぐまた五千部刷り増して。結局、一万部売れたそうです。値段は、一部三ペンス。
1832年、巴里で創刊されたのが、「シャリヴァリ」。これが人気なので、そのイギリス版を出そうではないか。それが、そもそもの発端だったのですから。

「北庭筑波のポンチ繪」

明治十六年『東京日日新聞』二月六日号の見出しに、そのように出ています。「北庭筑波」は、もともと写真師。それが似顔絵も描くようになった、との記事。「ポンチ繪」は、もちろんパンチの日本語訛りであります。つまり、それほどに話題になったということでしょう。
1856年『パンチ』10月2日号に。『乗合馬車に新規則』の戯画が出ています。もちろん、あくまでも「戯画」ですからね。
そこには乗合馬車が描かれていて。クリノリン姿の淑女が、呆然と。今度、規則が変って、クリノリンは外して、馬車の上に積むことに。
そんな「戯画」が受けるほどにクリノリンが流行ったし、また実際、馬車の中では邪魔になったのでしょう。ほんとうにそんな規則があったわけではありません。念のために。

「お客さんのクリンナリンは全部………………」。

これはたぶんコックニイなのでしょう。馭者の下町言葉。
その馭者は、ボウラーに、インヴァネス・コートの姿で描かれています。
当時のクリノリンほどでなくとも、インヴァネス・コートもそれなりに流行であったことを窺わせる「戯画」になっているのです。
今度イギリスに行くとき。インヴァネスでは顰蹙でしょうかねえ。

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