狐狩りは、フォックス・ハンティングのことですよね。イギリス人に言わせますと、フォックス・ハンティングはもっとも高貴なスポーツなんだとか。
では、どうして狐狩りが高貴なのか。昔むかし、狐が田畑を荒らすことがあって。それを土地の領主である貴族が退治した。そこからフォックス・ハンティングは、貴族のスポーツである、と。たしかに猪などと違って、狐は食用にはしません。ただ、退治するだけ。
「長靴をはき、ピンクのコートを着た騎乗者の最後尾は、すでに彼ら二人に追いつき、通り越して………………」
ウイリアム・フォークナーが、1930年代に発表した短篇『狐狩り』の一節。余談ですが、「長靴」は、「ちょうか」と訓むのでしょう。
文中、「ピンクのコート」とあるのも、フォックス・ハンティングにおける決まりになっています。もともと狐狩りの服装は緋色。これは誤射を防ぐために。でも、そのスカーレットが長い間の着用で、色褪せてくる。だから、ピンク。だから、老練のハンターであることを誇ったのです。狐狩りばかりはたとえ新品の真紅でも「ピンク・コート」と呼ぶのは、そのためなのですね。
「イギリス人の愛好する狐狩では、必ず狐に逃げ切る可能性のあることを前提条件としている………………」。
池田 潔著『自由と規律』に、そのように出ています。なるほど、「紳士のスポーツ」なのでしょう。
狐狩りが出てくるミステリに、『真夜中への挨拶』があります。2004年に、レジナルド・ヒルが発表した物語。
「いや。狐狩りや鳥撃ちだけじゃない、あらゆる意味で上昇志向があったんだ。」
ここからも分かるように、フォックス・ハンティングは「上昇志向」そのものなのでしょう。また、『真夜中への挨拶』には、こんな描写も。
「イングランド人の漫談師がグラスゴーのエンパイア座でキルトをネタにした冗談を言ったみたいに、完全な失敗に終わった。」
グラスゴーはスコットランドの街ですから、ここでのキルトは冗談にはなりにくいでしょうね。
キルトをはじめて活字にした作家は、たぶん夏目漱石かと思われます。
「腰にキルトといふものを着けてゐる。俥の膝掛の様に粗い縞の織物である。」
明治四十二年に、漱石が書いた『昔』と題された随筆の、一節。「粗い縞の織物」は、おそらくタータンのことでしょう。
漱石は「タータン」の前に、「キルト」の言葉を使っているのです。
十七世紀以前には、すべて一枚の布で身体を包んだ。それが十八世紀になって、国境近くのイングランドでも働くようになって、上下を切り離すことで、「キルト」が生まれたのですね。