幸とサタン

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

幸は、幸福のことですよね。
幸は「さち」とも、「さいわい」とも訓みます。人間誰しも幸いであるほうが嬉しいものです。
でも、幸いはアルコホル度数と違って、「幸度100」なんてのは聞いたことがありませんから。
しかしながら幸は「笑い」で測ることができるのではないでしょうか。少なくとも「笑い」と幸は正比例するのではないか。
今、仮に「A」という家庭があって。朝から晩まで笑い声が絶えない。これは幸福な家庭だと言って良いでしょう。
個人でも同じことで。Aさんは朝から晩まで、にこやかに笑っていらっしゃる。もしそうだとすれば、Aさんは幸福度の高いお方なのでしょう。
「幸の材料は笑い」そんなふうにも言いたいほどです。昔から日本でも、「笑う門には福来る」というではありませんか。あれはほんとうだと思います。

「一陽は幸なき人の上にも來り復ると聞く。」

夏目漱石が、明治四十年に発表した『虞美人草』にそんな言葉が出てきます。これは「甲野さん」が、日記張にレオパルディの箴言を書き写している場面。
この段落の少し前に。

「繻子の模様も對とも思ふが……………………。」

との文章も出てきます。
人間誰しも悩みはあるもので。漱石も悩みに悩んで、最後に、「則天去私」の心境にたどり着いたのでしょうか。
則天去私。私は私を優先することをやめ、他人を優先します。そしてすべては「天」の考えることに従います。ざっとそんな心境なのでしょうか。
漱石と同じようにと言って良いのかどうか。岡本かの子にも悩みはあったようで。そのために岡本かの子は晩年に仏教の研究に入っています。
岡本かの子の仏教研究と関係あるのかどうか。岡本かの子は大正十三年に、『私の家庭の幸福は茲から生まれる』と題する随筆を書いています。岡本かの子はこの随筆の中に。

「…………すべてよし、すべて愛すべし。」と書いています。」

岡本かの子が昭和九年に書いた随筆に、『ロンドンの秋』がありまして。

「私は其の夜も学生服をサタンのイヴニングドレスに着更えてミス・マジョリーとタクシーを走らせる。」

ここでの「サタン」は、フランス語なのでしょうか。s at in と書いて、「サタン」。英語なら、「サタン」。日本語なら、「繻子」。
繻子の歴史は燭台と関係があるのではないでしょうか。中世の舞踏会場は今よりももっと暗かったはず。その暗い中で光を集めてくれる素材は貴重だったと思われます。
笑は幸を作り、繻子は光を作る。
どなたかサタンのスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone