スイスは、時計の国ですよね。世界中でスイス産の時計は絶対的な評価を得ています。
いかに老舗であろうと、いかに名店であろうと、時計を造るならスイスに工場を置くと、決めているほどです。
その昔、ユグノーの時代から、優れた時計師がフランスなどから移り住んだ歴史に支えられてのことでしょう。
大正時代のはじめに、スイスを旅した作家に、徳冨蘆花がいます。今も世田谷の「芦花公園」に名を遺す、あの徳冨蘆花であります。
また、『不如帰』の名作でも知られる文士でも。
「パン、バタ、オムレツもうまい。瑞西葡萄酒を呼ぶ。」
徳冨蘆花は、『ジュネーヴ』と題する紀行文にそのように書いています。
昼食後、コーヒー。「砂糖はありますか?」と訊いたなら、「いくらでもあります!」と言われて、徳冨蘆花は驚いています。
参戦国のイタリアでは砂糖がなかったので。それで徳冨蘆花は、赤ワインで、「平和であることに」乾杯しています。
徳冨蘆花はまたジュネーヴで時計をも買っているのです。
ホテルでどこの時計屋がいいかと、問うと、「ヴァセロン・エ・コンスタンタン」を薦められたとも。
「かったは共に薄手の片硝子、盤面がつや消し金になって………」
徳冨蘆花は金の懐中時計と、奥様の七宝時計をも買っています。両方合わせて、1265フランだった、と。
スイスが出てくるミステリに、『悪魔のひじの家』があります。1965年に、ジョン・ディクスン・カーが発表した物語。
「ディードルは六一年にスイスを旅行し、『その前の年』には北アフリカへ行っている。」
また、『悪魔のひじの家』には、こんな描写も出てきます。
「成人した息子のいる六十歳の男やもめで、短い黒のコートに縦縞のズボン………」
これは「アンドリュー・ドーリッシュ」という人物の着こなし。
間違いなく、「ストライプト・トラウザーズ」でしょう。もちろん、縞ズボン。これは十八世紀の乗馬ズボンの伝統から出たものです。
どなたか縞ズボン地で、スーツを仕立てて頂けませんでしょうか。