絽とロオン

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絽は、夏の着物地ですよね。正しくは、盛夏用であります。
絡み織の一種で、半ば透明の生地でも。やや似たものに、「羅」があります。「羅」と書いて「うすもの」と訓むこともあるらしい。
絽も羅も日本の美意識が下敷きになっています。結論から申しますと、絽も羅も着ているほうは、決して涼しいものではありません。透けるために下にもう一枚を重ねなくてはいけませんから。
「ごらんになっている貴方さまは涼しそうにお感じになるでしょう」という、間接的美意識なのですから。
絽は盛夏の生地ですから、着物でも羽織でも。絽の羽織のことを、「絽羽織」。
そもそも真夏に羽織は、無用。でも、あえて夏に羽織を重ねて、生地を絽にして。なんだか無用の贅沢という見栄なのでありましょう。

「五ツ紋の絽羽織に仙臺平の袴なぞ着いて、車に乗って歸つて來た。」

眞山青果著『南小泉村』の一節です。明治四十二年の発表。
これは、「玄吉」という青年の様子。
明治期には、「絽羽織」がほとんど常識だったことが窺えるでしょう。

「それへ撫子模様の唐縮緬の蹴出しがかけてあつた。爺さんは脱いだ絽羽織を袖だたみにしてこの蹴出しの上へかけてからゆつくりと白足袋を脱ぎにかかつた。」

昭和十年に、矢田津世子が書いた『神樂坂』にも、そのように出ています。
戦前までの日本では、「絽羽織」はさして珍しくはなかったのでしょうね。

「アア綸子もあり、絽もあり、ちや屋つじもあるのさ」

式亭三馬の『浮世風呂』の、「おさめ」の科白。
ここでの「ちや屋」は、「茶屋四郎次郎」の店のこと。幕府御用達の名店。主に、麻織物を得意としたという。
「つじ」とは、模様が重なり合っている部分を指す言葉。
少なくとも江戸期にも、「絽」は人気の布地だったのでしょうね。

「田舎の温泉にひつこんでゐた僕に、着物を一揃へ送ってくれるやうなこともする。」

川端康成が、昭和五年に書いた随筆、『池谷信三郎』に、そのように出ています。
池谷信三郎は、川端康成とほぼ同年の作家。ただし、三十三歳で世を去っているのですが。
川端康成と、池谷信三郎とは、かなり親しい関係であったらしい。この時の「着物を一揃へ」の中に、絽羽織は含まれていたのでしょうか。
川端康成が、昭和三十一年に発表した小説に、『女であること』があります。この中に。

「ピノキオの繪のハンカチイフが四十圓、そんなのから、一枚七百圓もするロオンのレエスのまで、どれも五寸四方ほどの、女持ちのハンカチイフが、長いシヨウ・ケエスのなかにならんでゐる。」

これは、「近松千代子」が眺めている場面。「四十圓と、七百圓」。今の時代なら、四百円と七千円くらいのものでしょうか。
ロオン l awn は十五世紀に遡る上等の、薄い、麻織物。
一説に、北フランスの、「ラーン」L a on に因むとも。
ロオンはハンカチイフ以外にも、シャツ生地にもなります。ただし欠点を探すなら、ブロードなどの較べて繊細すぎるのですが。
どなたかロオンでシャツを仕立てて頂けませんでしょうか。

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