Tシャツとテリークロス

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Tシャツは、アメリカ生まれの下着ですよね。しかし。必ずしもそうは言えないところが、Tシャツの奥深いところなのでしょう。
いっそ、「元下着」だとか。でも、現に下着として使っているお方もいらっしゃるわけで。
「下着でもあり、元下着でもあり」としたほうがよろしいのでしょうか。あるいは、また。「元下着から出て、上着らしくも着られる服装」といったほうが問題が少なくのか。迷ってしまいます。
Tシャツは、若き日のマーロン・ブランドと関係がある、との説があります。1947年の、ニュウヨーク、ブロードウェイで。もちろん、『欲望という名の電車』であります。『欲望という名の電車』は、1951年の映画がよく知られています。が、その前の1947年の演劇が、はやい。舞台の『欲望という名の電車』が好評だったので、1951年に映画化されたものですね。
『欲望という名の電車』での、スタンリー・コワルスキーの役を演じたのが、マーロン・ブランド。マーロン・ブランドは舞台での映画でも、同じ役を演じています。
当時、ブロードウェイの演劇で、準主役の俳優が、Tシャツで登場するのは、はじめてのことであったと思われます。ということはTシャツにとっては、『欲望という名の電車』がひとつの試金石でもあったのでしょう。「下着」を公に見せることへの。
でも、小説に描かれたTシャツは、もっとはやい。
1920年にフィッツジェラルドが書いた『楽園のこちら側』に、Tシャツが登場します。

「六組の、夏用の下着………その内のひとつはスェーター型で、もうひとつは、Tシャツ型………」

これは旅支度をしている場面なんですね。私は今のところ、フィッツジェラルドの『楽園のこちら側』よりも前の小説に、「Tシャツ」を見つけられないでいるのですが。
では、フィッツジェラルドはなぜ、「Tシャツ」を知っていたのか。
スコット・フィッツジェラルドは、1917年、二十一歳で、アメリカ陸軍に入っています。おそらくこの時の官給品としてTシャツがあったのでしょう。つまり、フィッツジェラルド自身、1917年にはTシャツを着ているのでしょうね。
Tシャツそのものは、十九世紀末、アメリカ海軍にはじまっています。船室は狭いので、かさばるコンビネイションは持ち込めなかったから。コンビネイションの上下を切り離して、簡便な下着が必要だったからです。
この海軍での採用が、後に陸軍にも拡がったものでしょう。
Tシャツが出てくるミステリに、『誘拐』があります。1971年に、
ビル・ブロンジーニが発表した物語。

「しまのTシャツにオーバーオール姿の青年が、すぐ近くに広げた防水帆布のうえに膝まずいていた。」

これは、若い庭師の様子。
また、『誘拐』には、こんな描写も。

「男は年のころ三十、白いテリー織のとっくりセーターに、色あせたコールテンのズボンとキャンヴァス ・シューズ。」

これは、探偵のターナーが訪問した家の、若者の着こなし。
文中の「テリー織」は、テリー・クロス terry cl oth のことでしょう。平たく申しますと、タオル地、輪奈織物。イギリスでは十八世紀から用いられている言葉で、フランス語の「ティレー」t ir er から出た言葉なのでしょう。フランス語「ティレー」は、「引っ張り出す」の意味であったという。
また、テリー・クロスは、「パイル地」とも。よく、バスローブなどに使われるのは、ご存じの通り。
テリー・クロスのTシャツなんかも、あるんでしょうかねえ。

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