ボウラーとポケット

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ボウラーは、山高帽子のことですよね。帽子のヤマが高く、丸く、固くなっているので、「山高帽子」。
ボウラーはもともと軽いヘルメットを想定していたこともあって、伝統的に固く仕上げられるのです。
明治期の日本でもボウラー、つまり山高帽子はずいぶんと流行になったらしい。その時代にはまだ、ソフト・ハットは略式だという考えがあったからでしょう。

「向こうの棚に載せたたれやらの帽子が、傾いたまま、山高の頂きをふるわせている。」

明治四十年に、夏目漱石が発表した小説『虞美人草』に、そのような一節が出てきます。これは汽車の中での光景として。この時代、少なくとも山高帽子が珍しくはなかったことが窺えるでしょう。

明治十八年の神戸では、どうだったのか。やはりその時代の神戸でも山高帽子は少なくなかったようですね。
明治十八年、小林富次郎は、神戸の「鳴行社」に参加。この時の記念写真に、小林富次郎は、椅子に座り、山高帽子を膝の上に置いています。
小林富次郎は、今の「ライオン」の創業者なのですが。
小林富次郎は1852年1月15日に、今の「さいたま市」に生まれています。
後に「小林富次郎商店」となるのは、明治24
年10月30日のこと。場所は神田、柳原河岸二十二号地だったそうです。
「獅子印ライオン歯磨」の発売は、明治29年のこと。明治31年には、月に三千円の売上があったそうです。
その後、小林富次郎が立派だったのは、慈善事業に力を注いだことでしょう。
明治33年には、「慈善券付ライオン歯磨」売出しています。その慈善券分を恵まれない人に寄付をしたのです。
その一方で、小林富次郎は海外視察をも行っています。明治38年には、シカゴに。シカゴで写された小林富次郎の写真が遺っているのですが。
上着の前裾を外に払ってから、右手をズボンの脇ポケットに入れています。
これは正しいポケットの扱い方なのです。
どなたか正しいポケットの手の入れ方が様になるズボンを仕立てて頂けませんでしょうか。

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