パリとパンプス

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

パリは語ることの多い街ですよね。東京と同じように。
語って語って、語り尽くせない街がパリであり、東京であるのでしょう。
十九世紀に「パリの王様」と謳われた作家に、ユゴーがいます。もちろん、アレクサンドル・デュマです。
ある時、パリの劇場で偶然、オルレアン公爵にお会いした。その時、オルレアン公爵はおっしゃった。
「ヴィクトル・ユゴーにお礼がしたい。金の煙草入れを贈りたい。」
そこで、デュマはお訊ねした。「いかほどの代物でしょうか?」
「まあ、五千フランはするだろうね。」
これを聞いたデュマは、オルレアン公爵に、ドラクロアの絵をお買いになるよう薦めたそうです。ドラクロアも喜び、ユゴーも喜ぶことになるので。

パリに永く住んだ日本人画家に、荻須高徳がいます。その荻須高徳がフランス映画に出演したことがあるんだそうですね。荻須高徳の『私のパリ、パリの私』に出ている話なのですが。
1931年の『オリーブ、秘密の旅行者』という映画に。

「………曇りの日には近所のビストロへ連れていかれて、皆でわいわい騒いで、昼食を食べて、それでおしまい。」

荻須高徳著『私のパリ、パリの私』に、そのように出ています。
撮影は、オルリー空港。当時の映画フィルムでは、曇天に撮影は、できなかったから。
また、『私のパリ、パリの私』には、こんな話も出てきます。

「………やはり大きいふろしき包みをかかえてやってくる、背の高い、ひげの白いおじさんと出会いました。紹介されたらそれはヴァン・ドンゲンでした。」

荻須高徳が、藤田嗣治と一緒に、作品を会場に運び込んだ時の話として。やはりパリならではの出会いでしょう。

パリが舞台となるミステリに、『夜歩く』があります。1930年に、ディクスン・カーが発表した物語。ジョン・ディクスン・カーは、若い頃、パリで暮していたので。この『夜歩く』は、ディクスン・カーの第一作。『夜歩く』が好評となったので、作家になったお方なのです。

「頬杖をついてベンチに腰かけ、スリッパだか、部屋ばきの靴だかをはいて足もとの砂利をひっかいていた。」

これは「シャロン・グレイ嬢」の様子として。場所はパリのある裏庭と設定されています。
「部屋ばきの靴」。まったくの想像ですが。「パンプス」pumps
ではなかったでしょうか。パンプスはバル・シューズであり、コート・シューズであります。昔の宮廷靴であり、舞踏靴のことです。もともとは男女の区別はありません。
どなたかスーツにも合わせられるパンプスを作って頂けませんでしょうか。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone