ハイカラは、おしゃれなことですよね。それも西洋ふうの、新しいおしゃれを、「ハイカラ」と呼んだらしい。
でも、ハイカラは今でも用いられる言葉なのでしょうか。「ハイカラ」は明治のはじめに生まれた言葉。少なくとも明治語のひとつとは言えるでしょう。
そもそもは、「高襟党」と言ったんだそうですね。明治のはじめの洋行帰りの粋な人たちを。当時、『萬朝報』の記者だった石川半山が言い出したと伝えられています。
この高襟党が後に「ハイカラ」になったという。たしかに十九世紀のヨオロッパのシャツの襟は高かったから。つまり、ハイ・カラア転じて「ハイカラ」となったものです。
「………じみな凝た、見た目よりも金の懸つたハイカラなら、別に嫌ひとも思はん。」
明治四十一年に、作家の徳田秋聲が書いた『ハイカラ論』に、そのような文章が出てきます。少なくとも徳田秋聲に『ハイカラ論』を書かせるくらいには、ハイカラが流行だったのでしょう。
「変梃な一風のハイカラがつた所が非常に多い。玉だらけ疵だらけな文章だ。」
夏目漱石が、明治三十八年に書いた手紙に、そのような文章が出てきます。宛先は、野村伝四。日付は、四月二日になっています。
これは日本のある文人の文章についての印象として。
夏目漱石は、「ハイカラがる」と、動詞にして使っています。このハイカラがるを、もう少し短くして、「ハイカる」の言い方もあったらしい。
つまり、明治期にはかなりハイカラの言葉が流行ったものと思われます。
「………私はその時分からハイカラで手数のかかる編上を穿いていたのですが………」
夏目漱石が、大正三年に発表した小説『こゝろ』に、そのような一節が出てきます。ここでの「編上」は、レイスドアップ・ブーツのことです。大正三年頃にはレイスドアップ・ブーツが「ハイカラ」だったのでしょう。
また、『こゝろ』には、こんな描写も出てきます。
「………其所へある時羽二重の胴着が配達で届いた事があります。すると皆がそれを見て笑いました。」
「羽二重の胴着」。それはあまりにも贅沢な服装だったから、皆が笑ったのです。
羽二重は日本独自の絹織物。俗に「平絹」とも呼ばれたものです。なによりの特徴は、縦糸、横糸ともに無撚の絹糸が用いられることにあります。
この上なくしなやかで、光沢が高雅。明治時代には、多いに外国に輸出されたものです。
「ハブタエ」habutae は、英語の辞書にも載ったほどであります。
どなたか羽二重の無地のネクタイを作って頂けませんでしょうか。